市内高校の研究協力

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 亀田は平野と丘陵が発達し、亀田川を始め、多くの川に恵まれ、水利、水質の良い地域である。先人たちが移住し、現在に至っているということは、先史時代から人類が生活するための自然条件が備わった所であったといえよう。であるからこそ、中世以降に本州から移住して来るようになる以前においても人間不在の地ではなく、今から一万年も前から人類の歴史が続いているのである。亀田の基幹産業としての農業開拓の歴史は、本州から見ると、はるかに遅れているが、山と平野と海に恵まれ、清水がわき出るところには、豊かな森林と生物相があって、農業開拓も順調に進んできた。早くから開拓の進められた亀田川流域にも遺跡があって、乳白色に赤味の差すメノウやフリント(火打石)、黒くガラスのような光沢のあるオブシジアン(黒曜石)の石器が発見される。所によっては土器の破片がおびただしく出土して畑作の妨げとなることもあった。亀田地域が現在のように宅地化されていなかったころには、遺跡を訪れると付近の人は気さくにそのありかを教え、むかしはこのあたりはアイヌが戦った所であるなどということも聞かされた。
 亀田に先史遺跡がどれくらいあるかは正確にとらえ難い。昭和二十年以後、遺跡が発見され始めたのは、前記のようにほとんどが中学生か高校生が土器や石器を見付けたことが動機となったのであるが、函館市内の学校の考古学部や郷土研究部が調査した遺跡数は、現在では九〇か所以上に及ぶ。また、現在考古学関係の研究活動をしている高等学校は、函館中部、函館東、函館北、函館ラ・サール、函館有斗、函館工業、遺愛女子などの各校で、テーマによっては共同で調査しており、遺跡の分布確認調査は函館、亀田の地域内に限らず、渡島半島の地域別調査も行って、行政調査の基礎資料を提供している。最近では函館北高等学校考古学研究部が“産業道路と周辺の遺跡破壊”について高等学校文化連盟函館支部郷土研究部会で発表している。道内の遺跡分布や発掘調査においても、高校生、中学生の貢献は顕著なものがある。