馬の利用

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 松浦武四郎の『蝦夷日誌』には「(鍛冶村)人家三十軒計。皆大家なり。陰森たる樹木がくれにしてこゝかしこに立並ぶ。畑作りのみ。又山稼も有。然し漁事の時は皆浜に下りて漁事をなす。此村よりは日々に箱館へ薪并野菜を馬に負せてうり来るを渡世とす。」と記されているが、このことからも知り得るように、箱館へ薪や野菜を売りに出る時ばかりでなく。山稼の時、漁業に出稼ぎする場合にも馬を利用しており、更に助郷、駅逓などにも使用され、馬は亀田諸村に居住する百姓にとってなくてはならぬものであった。