権現台場

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 榎本軍、官軍ともに「権現山の台場」「神山権現台場」と普通呼びならわしており、旧神山東照宮跡のことである。前記の『奥羽並蝦夷地出張始末』では「徳川家康之社屋にも砲墩相設け」とあり、また、『遊撃隊起終録 南蝦夷戦争記付録戦地写生図』の中に「神山村御宮并台場の図」があり、これらのことにより東照宮境内に砲塁が設置されていたことが知られる。この神社に東照権現を祭っているところから、東照権現にある台場すなわち権現台場という名称が付いたものであろう。なお、砲塁は最初から存在したものでなく、官軍との戦争に備え、明治二年春、急いで築塁したものと思われる。