次に『開拓使事業報告』によって主な農業奨励政策を挙げて見る。
1 内外より優良品種を移入、配布、販売
明治四年三月 荏胡麻、藍、練馬蘿蔔(大根)、荵、牛蒡、近江蕪菁、三河島菜、小松菜、甜瓜、菜、瓜、西瓜、冬瓜、南瓜、胡瓜、於多福蘿蔔(おたふく大根)種ヲ東京ヨリ七重開墾場ニ移ス。
明治九年五月 従来函館近傍各村農民専ラ蘿蔔ヲ播種シ其収入ヲ以テ年分生計ノ半ヲ資ルヲ常トス。種子ハ武州北豊島郡ト尾州中島郡ノ産ヲ重(主)トス。奸商等他ノ種子ヲ以テ前二種ト詐リ利ヲ貪ル者アリ、因テ試ニ正真ノ良種ヲ購シ、亀田郡亀田、鍛冶、神山三村ニ告諭シ、種子五斗五升ヲ毎戸ニ頒チ、代価ハ収納ノ結果ヲ見テ徴収ス。
十二月 曩ニ蘿蔔種子ヲ頒チシニ各村ノ収獲多キコト従前ノ比ニアラス、次年亦之ヲ履行センコトヲ請フ。
明治十年五月 武州豊島郡産蘿蔔種子七斗ヲ購シ、亀田郡数村ニ頒ツ。
2 七重勧業試験場による各種内外品種の栽培試験および優良品種の下付、栽培方法の指導
明治九年 米国種小麦最善ク風土ニ適スルヲ以テ先ツ亀田郡各村ヘ種子ヲ下付シ、播種セシメシニ、風害或ハ放馬ノ害ニ罹リ、又、播種季節後ル等ノ為メ収獲充分ナラス。
(このとき亀田地域で小麦栽培を行ったのは合計八〇戸、その内訳は、鍛冶村一一戸、神山村七戸、赤川村一三戸、桔梗村二一戸、石川村九戸、亀田村一九戸であった。)
明治十一年 委員ヲ亀田、上磯二郡に派シ、地味ヲ相シ米国産小麦赤白二種ノ種子ヲ人民ニ貸与シ、且播種培養方ヲ懇諭ス。
(このとき赤川村九戸、桔梗村一七戸、石川村一二戸の合計三八戸が試験的に栽培を行った。)
明治十三年 春播大麦種子若干ヲ亀田、上磯二郡及其他人民ニ売下グ。
(この大麦はドイツ種と、ガルトネルのもたらした「孛国種」と称されたものである。)
明治六年 蔬菜ヲ栽培シ、其風土ニ適スル者ヲ撰テ種子ヲ人民ニ斥売ス。
明治九年 馬鈴薯再熟種種子ヲ亀田郡各村ニ下付ス。(中略)尓後大ニ繁殖ス。
このほかにも、明治四年四月には勧業世話人係(八名)の設置、明治五年六月野菜市場を函館地蔵町に開設、明治六年二月各種農産物の買上げと販路の開拓、物産買上委員の設置などのことがあり、これらの中には計画だけで内容のはっきりしないものもあるが、後日亀田地域および道南地域の農業に与えた影響は計り知れないものがあった。