函館区制と亀田小学校

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 明治三十二年九月四日内務大臣西郷従道より、北海道区制第百十二条により、区制施行地として函館、札幌及び小樽の地区が指定された。
 従来の函館区の外、亀田村の東南部の広大な地域(字村内 字大川通内 字五稜郭通 字陣屋通 字千代ケ岱 字湯川通 字柏野 字十文字 字村内川東 字万年橋 字ゴミ川ノ内 字有川通内 字札幌通 字八幡社後手 字田家ノ内 字六軒家内 字鍛冶村通内 字前浜 字万年橋脇の十九字に及ぶ)を合併して函館区とした。
 『函館区史』『函館市誌』によると、面積四六万四、九一六坪、戸数三四四、人口二、二二七と記述しているので、亀田村の大部分を函館区に編入合併したわけである。面積の計算はどのように行ったのか分らないが、概算しても二〇〇万坪余となると思う。
 区制施行地には、現在の町村名を大字として、これを存するという内務省令によって、編入した地域は函館区大字亀田村と称し、昭和六年町名を改めるまで、亀田郡亀田村と函館区亀田村が共存していた。
 亀田村は明治三十五年二級町村制施行に当り、亀田村外五か村(鍛冶村 神山村 赤川村 桔梗村 石川村)戸長役場を廃止し、従来の村名を大字として合併、亀田村と改称したことにより、新しい村の誕生となり、その後、亀田町、亀田市と発展して来たものである。