亀田土地改良区は、昭和二十九年土地改良法に基づき発足して以来十年間、土地改良区の目的である農業経営を合理化し、農業生産力発展のための土地改良事業と、これに付帯する事業を六八一名の組合員一丸となって努力してきているが、しかし、進歩する農業経営に伴い、緊急解決を要する事業は少なくなかった。亀田川水利調整施設整備、鍛治ダムの運用、水田合理化整備、大野かんぱい事業などを抱え、これら諸事業を完成するためには、亀田土地改良区の財政および運営力では困難が多く、やや停滞状態におかれていたのが昭和三十八年ころであった。
たまたま四か町(亀田・大野・七飯・上磯)の連合組識である「大野平野土地改良連合会」においても、各単位改良区における運営上の諸問題につき実情調査を行っていたおりで、連合会の見解では、他町の土地改良区でも事業に行詰りもあり、この際四か町土地改良区が合併し、大野かんぱい事業の早期完成と合わせて水田灌漑排水の整備、水田の合理化などを図った方が現状ではむしろ良いとの結論に達したため、このことが各単位改良区で慎重審議された上、総代会において合併の決議をし「渡島平野土地改良区」が新設され、昭和三十八年七月三十日正式認可となった。
この新設により各改良区から総代を送ることになったのであるが、総代選出については次の規定に従って行われた。
総代定数 七五名(大野町二二、七飯町二〇、上磯町一五、亀田町一八)
被選挙権者 組合員二五歳以上のもの
選挙告示 昭和三十八年八月二十九日
立候補受付 同九月八日まで、各町の選挙管理委員会で行う。
投 票 同九月十八日、四か町が同時一斉実施する。
渡島平野土地改良区総代選挙は九月十八日実施されることになっていたが、亀田町総代一八名の選出は、選挙を待たずに一八名無投票で決定した。これは定数一八名に対して二〇名立候補者が出たが投票日前日までに二名辞退したため無投票で一八名の当選が決ったものである。総代は次のとおりである。
福田与一郎 佐々木茂夫 安川 和一 半田政次郎 土井 勝雄
佐々木 正 柴谷 豊司 泉 鶴治 深田源太郎 柏 松太郎
伊藤円次郎 高瀬 茂雄 瓜谷 石蔵 関本 政蔵 亀谷 正
片桐 藤吾 笠井清四郎 水島辰三郎