この日、北海道二級町村制により村となったのは全道で六二村で、亀田郡では銭亀沢村、湯川村、亀田村、七飯村、戸井村、茅部郡で森村、山越郡で八雲村、上磯郡で木古内村であった。戸長役場が設置されていた村がそのまま北海道二級村となり、それまでの村むらは新しく出来た村の大字となった。銭亀沢村の場合は大字銭亀沢村、大字志苔村、大字石崎村、大字根崎村の四大字が誕生した。
銭亀沢村の村長には高津勝之助(月俸二八円)が任命された。以下湯川村村長には坂井一健(同三〇円)、亀田村村長には大滝孝季(同二八円)、七飯村村長には鎌田寧固(同三〇円)、戸井村村長には多田作太郎(同三〇円)、森村村長には佐野義正(同三一円)、木古内村村長には中山長義(同二八円)、八雲村村長には三井計次郎(同二八円)がそれぞれ任命されている(明治三十五年四月三日付「北海朝日新聞」)。顔ぶれはほとんどが元開拓使巡査、戸長といった地方官吏出身者であった。
二級町村制では、村長、収入役(任期は各四年)は北海道庁長官が任命し、助役は置かずに書記を置き(定員は長官が決定、支庁長が任命)、役場職員の給料、旅費は北海道地方費で支弁した。村会議員の選挙資格は、その地に一年以上住居し、地租年額一〇銭以上、直接国税など五〇銭以上、もしくは耕地一町歩以上、宅地一〇〇坪以上所有者に限られ、議員定数は四人から一二人で、等級選挙制はなく任期は二年であった。また、村会の議決事項概目は、村規則の設定並びに改正、歳入出予算、使用料、手数料、村税、賦役賦課徴収、村有不動産に関する権利、村吏員の身元保証金を徴しその額を定めること、村にかかる訴訟と和解に関することなどであった。
村長とともに書記も任命され、津島熊太郎(月俸一三円)、武石胤介(同一一円)、北原秀一(同一〇円)、高岡寅治(同一六円)が発令され(明治三十五年四月二日、五月八日「北海朝日」)、事務分科は二科で、第一科は庶務全般、第二科は現金出納、歳入歳出決算を担当することとなった。ついで、六月一日に村会議員の選挙がおこなわれ、蛯子太郎左衛門、松代孫兵衛ら一二人が選出されている。
第一回村会は七月に開かれたが、教育に関する建議書(小学校に高等科を設ける件と校舎移転改築に関しての建議)の取扱い問題で紛擾したと報じられており(明治三十五年七月十八日、二十三日付「函館公論」)、村民の教育への関心と同時に村費に占める教育費の比重の重さをうかがわせる記事である。時代は少し下がるが、大正初期の村財政と教育費の関係を示したのが表1・1・8である。
その後、村会議員は二年ごとに改選がおこなわれているが、大正八(一九一九)年に一級町村制の村となるまでに確認できた年次の改選結果は表1・1・9のとおりである。なおこの間、松代孫兵衛が明治四十年八月から一期三年、中宮亀吉が大正五年から二期八年北海道会議員に選出されている。
大正期の銭亀沢村役場(「函館支庁管内町村誌」北海道立文書館蔵)
表1・1・8 村財政と教育費
渡島教育会「函館支庁管内町村誌」により作成
表1・1・9 村会議員選挙結果1
明治37改選 | 明治45改選 | 大正3改選 | 大正5改選 | 大正7改選 |
木村豊吉 | 木村豊吉 | 木村豊吉 | 木村豊吉 | 木村豊吉 |
飯田吉藏 | 木村巳之松 | 木村巳之松 | 木村巳之松 | 木村巳之松 |
松代孫兵衛 | 松代孫兵衛 | 松代覚蔵 | 松代覚藏 | 松代覚蔵 |
中宮亀吉 | 中宮六蔵 | 中宮六蔵 | 中宮亀吉 | 中宮亀吉 |
蛯子太郎左衛門 | 蛯子太郎左衛門 | 蛯子太郎左衛門 | 蛯子太郎左衛門 | 蛯子太郎左衛門 |
岩井長次郎 | 沢田富五郎 | 沢田富五郎 | 沢田富五郎 | 沢田富五郎 |
武井安郎兵衛 | 武井安郎兵衛 | 武井安郎兵衛 | 武井安郎兵衛 | 武井安郎兵衛 |
石井弁蔵 | 菊地初太郎 | 菊地初太郎 | 本間勝太郎 | 本間勝太郎 |
九島徳太郎 | 長浜竹蔵 | 高野福三郎 | 高野福三郎 | 高野福三郎 |
亀田文太郎 | 本間勝太郎 | 黒島久太郎 | 黒島久太郎 | 黒島久太郎 |
武石胤貞 | 中島常三郎 | 白石留蔵 | 白石留蔵 | 白石留蔵 |
白鳥清 | 平田久蔵 | 三又伊三郎 | 平田久藏 | 瀬川寅吉 |