村管理の海産干場

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 これまでみてきた四村の昆布場、鰯漁場は個人所有のものであるが、このほか村で管理をしていたとみられる海産干場が一部あるので触れておく。
 
  当村漁場持之外農業亦は山働キ馬追等之余暇ヲ以昆布刈取営業致候者も有之、字瀬戸川ヨリ摺鉢石迄之間、海浜波打際ヨリ五間乃至拾四五間位之場所ヲ以干場ヲ定メ候儀ニ付、納屋等之建造物は更ニ無之、且大風波之節は浪ニ浸シ候場所之義ニ付、其期ニ臨ミ右営業之各人民ヘ区画ヲ定メ拝借相願候様仕度、此段申上候也
     明治九年十一月十三日
           亀田郡志苔村 村用係     高野孫左衛門
                  副総代     黒島久左衛門
                  戸長        保阪順竜
     地租創定取調御中
     (「海産干場調査ニ付諸上申留」北海道立文書館蔵 簿書番号一八二五)
 
 この文書は志苔村から提出されたものである。字瀬戸川より摺鉢石までの間の海浜の奥行きがあまりないので拝借地とし、その都度、漁民に割り当てたいという内容の願書である。しかし、志苔村の場合、根崎村境の字瀬戸川から銭亀沢村境までの海浜はすべて個人所有の海産干場となっているので、願書にみえる場所が拝借地として認められた形跡はない。
 同じような内容の文書が銭亀沢村、石崎村、下湯川村(根崎村)からも提出されている。拝借地としたい区域はそれぞれ字黒岩より古川尻まで、字イサキより谷地町まで、字湯川尻より根崎までとなっている。銭亀沢村および石崎村については、「土地連絡図」によると該当区域には海産干場として記載されている土地はごくわずかであり、おそらく願い通り拝借地として認められたのではなかろうか。
 根崎村の場合は、下湯川村境の字土場から寒坂までは前述の通り大面積の海産干場が並んでいて、海浜が「五間から拾四五間」という状態ではなかったようである。

土地連絡実測原図(北海道渡島支庁蔵)