渡島半島鉄道株式会社

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 渡島半島鉄道株式会社は、東京府在住の工学博士で貴族院議員、秋田電気軌道株式会社取締役などに就任していた新庄直知が総代となり、銭亀沢村中宮亀吉、高野福三郎ら発起人一二名により昭和六年六月十六日付けで出願された鉄道会社である(自昭和十一年至昭和十二年「鉄道省文書」国立公文書館蔵)。同鉄道は、前述の戸井電気軌道とは異なり、起点を国鉄線の函館本線五稜郭停車場とし、軌間も国鉄線と同じ一〇六七ミリメートルを採用、湯川村、銭亀沢村を経過地として終点戸井村まで延長二八キロメートル、旅客、貨物の輸送をおこなう蒸気およびディーゼルを動力とする計画線であった。出願書中にある「渡島半島鉄道線路予測平面図」(前掲「鉄道省文書」)を見ると、五稜郭停車場から分岐して、亀田村を通り五稜郭跡裏手を経て、湯川村、銭亀沢村へと線路は延びていくが、終点の戸井村戸井停車場までは鉄道省敷設予定線の釜谷鉄道とほぼ同じルートを辿っていく路線であることがわかる。
 渡島半島鉄道は、昭和十年九月二十六日付け北海道庁意見書に「本敷設申請区間内ニハ既免許自動車網アリ且発起人ノ資力乏シク成果覚束ナク路政上必要ナシト認メラルヽヲ以テ免許相成サル様致度候」(前掲「鉄道省文書」)という記載からも明らかなように、当初より事業成果が認められず、「本出願鉄道ハ、第六十九議会ニ於テ予算通過シタル国有鉄道建設線ニ全ク該当スルヲ以テ敷設ノ必要ヲ不認」(前掲「鉄道省文書」)として昭和十一年六月二十六日付けでその敷設出願が却下となった。なお、却下理由の備考欄に「国有鉄道函館戸井間建設線ハ、昭和十一年度着手同十五年度竣工ノ予定ナリ」と記載されている。