亀田郡の鰯絞粕収獲高は、明治十一年には渡島四郡合計の一一・八パーセントに過ぎなかったが、十三年から急増して、十四年には、十一年のほぼ四倍に増加し、四郡合計の二四パーセントを占め、茅部郡を追い越し上磯郡に次いで第二位となった。
この時期、道内で漁獲された鰯は、大半のものが魚粕に加工されていた。先に挙げた『予察調査報告』には、「鰛ハ従来皆絞粕ニ製シ近年唯函館地方ニ於テ丸干及ヒ塩漬ヲ製スルノミ然レトモ其量僅少ニシテ全道ヲ一括スルトキハ独リ絞粕ヲ謂フモ可ナリ丸干ハ夏季丸鰛ヲ以テ之ヲ製スルノミ此期節ニ於テハ魚ノ群来少クシテ絞粕ヲ製スベキ多量ノ収獲ナキガ為メ…塩漬モ亦近年始テ製造スルモノニシテ其目的ハ重モニ鱈釣ノ餌料…或ハ食用ノ為メ札幌地方ニ輸出スルモノアリト雖モ極メテ僅少ナリ」とあり、道内の鮮魚の消費市場が全く狭隘であった当時の状況では、一時的に大量に漁獲された鰯は、ほとんど全量が絞粕にされていたのでる。
鰯絞粕の品質は産地によって大きな隔たりがあったようで、「樽前粕ヲ以テ第一トシ日高及ビ山崎之ニ次ギ函館近傍之ニ次ギ茅部之ニ次ギ、亀田上磯之ニ次グ」とされ、この地域の品質は、他の産地に比べて著しく劣っていた。
原料と品質の関係では、「ばか鰛ノ粕ヲ第一トシ、夏鰛之ニ次ギ、秋鰛ヲ低価ナリトス」とあるが、これは、原料となる鰯自体の質というよりは、漁獲時期に問題があったわけで、「漁期ハ晩秋初冬ニシテ曇天多ク気候寒ク且ツ短時日ノ時ナルヲ以テ収獲ハ一旦絞粕ト為スモ之ヲ其期節ニ干燥スル能ハズ更ニ翌春雪融クルヲ竣テ干スモノ多ク則玉粕ノ儘ニテ五六十日間貯蔵スル其間ニ甚ク品質ヲ落スニ由ル…上磯、亀田二郡ハ其価格ノ他ニ劣ル所以ハ粗製ノ弊猶未ダ脱セザルガ為ナリ」とある。鰯粕の加工時期が、乾燥には最も適さない時期であったことがその理由とされている。
表3・1・3 鰯絞粕の郡別収穫高