[大正・昭和期の漁業生産と経済構造]

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 大正・昭和期における日本の漁業生産の最も大きな特徴は、漁船の動力化にともなう沖合資本制漁業の発達であった。北海道の場合、動力漁船の導入は、全国に比べて七年ほど遅れて大正三(一九一四)年頃に始まった。それ以後、動力漁船は急速に増加して、大正七年の増加率は全国水準を凌駕するようになった。道内の漁船の動力化は、まず根室地区の蟹(かに)刺網漁業に始まり、次いで後志地区(小樽、高島)、渡島地区(函館)の手繰網漁業に波及し、昭和期に入ると渡島、檜山、後志地域の烏賊(いか)釣り漁業や、すけそう・鱈延縄漁業に動力漁船が導入された。この時期に、北海道の主要な沖合漁業は著しい発展を遂げた(昭和三十二年『北海道漁業史』)。
 こうした状況の下で、銭亀沢地区の漁業は、依然として鰯漁業と昆布採取業が中心で大きな変化はみられなかったが、全道的な沖合漁業への展開が進むなかで、鰯漁業では、地曳網のほかに、流敷網、船曳網、揚繰網、流網など、魚群の移動に応じて操業する漁法が導入された。また、函館市街地の人口の増加とそれにともなう水産物消費の増大を背景に、生鮮魚介類の供給を目的とした小規模漁業がおこなわれるようになった。たとえば、この種の漁業として、コーナゴ船曳網、鱒落網、鰈(かれい)底建・手繰網、烏賊釣り、蛸(たこ)いさり、あわび突きなどが挙げられる。
 次にこの時期における銭亀沢村漁業の概況をみよう。