『昭和八年鰛漁業権別調査』(北海道庁水産課)によれば、銭亀沢村における鰯漁の経営者、従業者数、漁獲数量とその価格は、表3・3・1に示すとおりである。
銭亀沢地区での聞き取り調査によれば、第二次世界大戦以前には、表3・3・2に示したような親方たちがいたことが分かっている。これらの親方は大半が鰯親方だが、中には、志海苔の〓高野、〓中宮、〓飯田らのように、昭和初期、鰯漁に建て網を導入した鰯親方や、米や味噌を貸す石崎地区の仕込親方(〓田丸、〓村田、〓沢田、〓村田、〓安保、〓松井、〓吉田ら)などがいた。
以上のように昭和二十年代末以前には、鰯の親方や仲買などの富裕層と、一般の漁民層の二層が存在していた。特に古川地区では、鰯漁の親方の第一階層、流網漁をするザコアミオヤカタや商売人・仲買人からなる第二階層、独立したコリョウシと出稼者と親方の船に乗るコカタリョウシからなる第三階層の三区分が存在していたとのことである(本間 新談)。
このような漁業の変化をもとに形成された社会階層は、戦後の鰯漁の衰退、北洋漁業の再開と衰退、昭和三十五年頃からの転職者の増加、養殖昆布漁の導入などによって崩れてきたのである。昭和四十年代以降、地区の全体的な傾向として、下層は上昇し、上層は下降し、両者の間での経済的格差は縮小してきたといえる。
表3・3・1 鰯漁の経営者、従業者数、漁獲数量と価格
銭亀沢村 鰛(鰯)定置網 6統 亀鰛(鰯)定 | ||||
住 所 | 経 営 者 | 従業者数 | 漁獲数量 | 価 格 |
銭亀沢村 | 本間勝太郎 | 20 | 400石 | 3,200円 |
銭亀沢村 | 川村清次郎 | 20 | 250 | 2,000 |
函館市 | 保田 弥十 | 20 | 300 | 2,400 |
函館市 | 佐藤作太郎 | 30 | 1,000 | 8,000 |
銭亀沢村 | 木村巳之松他16名 | 20 | 100 | 800 |
函館市 | 西出 悌二 | 25 | 150 | 1,200 |
銭亀沢村 特別 10統 亀鰮(鰯)特 | ||||
住 所 | 経 営 者 | 従業者数 | 漁獲数量 | 価 格 |
銭亀沢村 | 和泉久吉他3名 | 25 | 150石 | 1,200円 |
銭亀沢村 | 二本櫛次郎 | 20 | 964 | 7,712 |
銭亀沢村 | 九島喜代治 | 52 | 1,450 | 11,580 |
銭亀沢村 | 木村 豊吉 | 55 | 1,480 | 11,840 |
銭亀沢村 | 九島孫三郎 | 49 | 1,050 | 8,400 |
銭亀沢村 | 木村熊太郎 | 55 | 1,260 | 10,084 |
銭亀沢村 | 川村亀次郎 | 53 | 937 | 7,500 |
銭亀沢村 | 木村巳之松 | 60 | 2,124 | 16,992 |
銭亀沢村 | 松井 民義 | 49 | 1,120 | 9,184 |
銭亀沢村 | 和泉 清作 | 60 | 2,125 | 17,004 |
表3・3・2 鰊・鰯親方や仲買いなどの富裕層