農事組合・農業協同組合

281 ~ 282 / 521ページ
 沖合漁業への依存度が高かった銭亀沢地区での、大正末の農業経営立地状況は、土地の不沃・海岸段丘の波状地形や潮風による塩害など、良好な農業環境ではなく、馬鈴薯、大豆、小豆、玉蜀黍などの栽培を漁業経営の副業的自給自足としておこなう農家がほとんどであった。戸数九九一、うち専業農家一〇戸、兼業農家五八九戸、水田三八町、畑地七四町の数値が示すとおりである(大正十四年八月三日付「函日」)。
 昭和九年の銭亀沢村役場の『村勢一班』によると、銭亀沢村の中には、四つの農事組合と一つの農事実行組合があることがわかる。それぞれの概要は表3・3・10のとおりである。
 昭和十三年、薄漁の続く道南沿岸漁村の更正策として、渡島支庁は、漁村における農業の奨励を進め、銭亀沢地区をはじめとする道南一三か町村を対象に、渡島郡農会、副業協会や町村農会などの協力のもと馬鈴薯、大根、白菜の無料配給や、南瓜、玉蜀黍、胡瓜の種子配給・栽培指導をおこなった(昭和十三年四月五日付「函日」)。昭和十三年の銭亀沢地区田畑耕地面積は、水田六二六反、畑地九九八六反である(同年四月十三日付「函日」)。
 戦時下の昭和十九年二月一日に、銭亀沢地区には、国策に基づく農業統制の機関である北海道農業会の下部組織として、銭亀沢農業会が誕生した。この農業会の設立委員は、中宮亀吉、福島平三郎、山田徳次郎、中宮徳次郎、西沢勇一であった(昭和十九年一月二日付「道新」)。
 戦後の新しい法制度のもと、銭亀沢村には、銭亀沢村農業協同組合(昭和二十三年四月二十六日)、石崎農業協同組合(昭和二十三年五月十一日)が設立された。昭和五十(一九七五)年に、銭亀沢農業協同組合は、函館市農業協同組合と合併し、函館農業協同組合銭亀沢支所となった。
 
表3・3・10 各農事組合の概要
名称所在地組合長組合
員数
設立
中野農事組合字中野鈴木淳一郎28昭和7年
赤坂農事組合字赤坂北條佐吉25同上
高松農事組合字高松猩々谷規矩蔵10同上
豊原農事組合字豊原岩川定四郎8同上
鶴野農事実行組合字鶴野斎藤儀右衛門20昭和9年
昭和9年『村勢一班』より作成