昭和九年の銭亀沢村役場の『村勢一班』によると、銭亀沢村の中には、四つの農事組合と一つの農事実行組合があることがわかる。それぞれの概要は表3・3・10のとおりである。
昭和十三年、薄漁の続く道南沿岸漁村の更正策として、渡島支庁は、漁村における農業の奨励を進め、銭亀沢地区をはじめとする道南一三か町村を対象に、渡島郡農会、副業協会や町村農会などの協力のもと馬鈴薯、大根、白菜の無料配給や、南瓜、玉蜀黍、胡瓜の種子配給・栽培指導をおこなった(昭和十三年四月五日付「函日」)。昭和十三年の銭亀沢地区田畑耕地面積は、水田六二六反、畑地九九八六反である(同年四月十三日付「函日」)。
戦時下の昭和十九年二月一日に、銭亀沢地区には、国策に基づく農業統制の機関である北海道農業会の下部組織として、銭亀沢農業会が誕生した。この農業会の設立委員は、中宮亀吉、福島平三郎、山田徳次郎、中宮徳次郎、西沢勇一であった(昭和十九年一月二日付「道新」)。
戦後の新しい法制度のもと、銭亀沢村には、銭亀沢村農業協同組合(昭和二十三年四月二十六日)、石崎農業協同組合(昭和二十三年五月十一日)が設立された。昭和五十(一九七五)年に、銭亀沢農業協同組合は、函館市農業協同組合と合併し、函館農業協同組合銭亀沢支所となった。
表3・3・10 各農事組合の概要
名称 | 所在地 | 組合長 | 組合 員数 | 設立 |
中野農事組合 | 字中野 | 鈴木淳一郎 | 28 | 昭和7年 |
赤坂農事組合 | 字赤坂 | 北條佐吉 | 25 | 同上 |
高松農事組合 | 字高松 | 猩々谷規矩蔵 | 10 | 同上 |
豊原農事組合 | 字豊原 | 岩川定四郎 | 8 | 同上 |
鶴野農事実行組合 | 字鶴野 | 斎藤儀右衛門 | 20 | 昭和9年 |