相互扶助の制度

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 銭亀沢地区の特徴の一つは、近所の他人同士の相互扶助が極めてつよくみられることである。村人によっては、本家と分家との付き合いよりも、隣近所との付き合いが頻繁であったという人たちもいた。特に親しく近所付き合いをするのは、実質的に四、五軒であった。また出稼ぎが盛んであった頃には、村に残った女性同志の助け合いもみられた。親方層も一般の漁民層も近所付き合いは密であった。
 近所同志でのもらい風呂、米一升、味噌一椀、醤油、割烹着のような衣類や、五銭から一〇銭くらいまでのお金の貸し借り、食べ物のおすそわけは日常茶飯事であった。べこもちや四月八日のふろしきもちをお互に配りあうこともあった。昆布干しや鰯粕運び、畑仕事の手助けはいうにおよばず、葬式、結婚式や建前の手伝いも隣近所の人たちがおこなっていた。石崎のように昆布の干場が山の上や中腹にあるようなところでは、海から山への運搬など自分の家の作業が早く終われば、近所の昆布干しを手伝いにいったという。畑仕事では、「ゆいこう」と呼ばれる助け合いの制度があり、草取りなどの時に助けあっていた。新築の時にも建前から地域ぐるみで大工仕事を手伝っていた。
 また、志海苔のある古老の話によると、昔は隣近所には亭主役と呼ばれるような世話焼きがいることが一般的であったという。出稼ぎが主体の漁村であるため、一層、お互いを支え合うという相互扶助の精神と実践がこの銭亀沢地区にはみられた。現在でも、中高年の人びとを中心に近所付き合いはおこなわれているものの、若者は勤めに出たりいろいろな職種につくなどサラリーマン化し、生活パターンの多様化が進み、昔のような近所付き合いは希薄になりつつある。