石崎八幡宮の場合

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 恒例の春夏の神楽は、明治の頃から現在まで大きな変化はなく、二月十七日の「春神楽」と八月十四日から十五日の本祭の「夏神楽」が執行されている。この二つの祭りは、神主(銭亀沢八幡社の神官)、奉讃会役員・町会と漁業協同組合の有志によって運営される。祭典費用は、第二次世界大戦前は等級制であったが、現在は春が二〇〇〇円、夏が三〇〇〇円程度。戦前は、武運長久や入隊・除隊の祈祷や戦勝の報告をしたが、現在は地域の平穏と無病息災を主たる祈祷とする。昭和四十年頃までは、神への畏敬の念をこめて、神官ら行列の練り歩く所には、前浜から運んできた砂をまいたが、道路舗装後はとりやめとなった。

石崎町の祭礼(藤本忠一提供)

 春神楽の獅子神楽行列は、獅子頭を持つ奉讃会役員と四二歳の男性厄年の人を先頭にして、神社を出発、古川町境-町内巡行-神社到着という具合に、二時間程かけての行列となる。行列の総数、約三〇人前後とか。昭和二十年前後の「夏神楽」は、漁業協同組合が中心となった。
 二度の祭礼は、村祭りとして始まった祭りであり、地内のほとんどが八幡宮の氏子であるため、祭りは地内全体の祭りとなる。祭りは、地内を東・西・中部の三ブロック編成にして執行される。祭礼後の直会(なおらい)の諸費用は、各氏子からの一戸当たり三〇〇〇円程度の御祝儀で賄ない、供えられた御賽銭は、神官の持ち帰りとなる。
 祭礼組織は、神官、奉讃会長・祭典委員会委員長(責任総代ともいい、二人)および地区総代六人(各地区委員二人の三ブロック)で構成される。これら八人の役員については、氏子の全体参加の方式により、地区総代の家における無記名投票による選挙で決め、再選もある。おおむね氏子総代に選ばれる人は、一定の経済力を有し、神社に貢献した人であることが多く、その意味で、地内における名誉職である。ただし、神社の祭礼や日常的な境内の世話役となる「神社別当」は、神社に地理的に近い人が選ばれることが多い。
 春秋の祈祷も、明治時代より現在まで連綿と続いている。「春祈祷」は春三月から四月、銭亀沢八幡宮の神主が、全戸を訪問し、神棚に一年の豊漁と安全を祈願するもので、現在の祈祷料は一〇〇〇円。一方の「秋祈祷」は、十一月から十二月に、奉讃会役員が伊勢神宮と石崎八幡神社のお札を戸別配付するもので、これも祈祷料は一〇〇〇円。
 その他の臨時祭礼としては、戦前には最も厳格に執行された皇室にかかわる祭礼行事があるが、現代では、春夏秋の「神楽・祈祷」に主役を奪われ、神主によって、臨時的祭祀のような形で続けられている程度である。それでも、たとえば、今日の建国記念の日、みどりの日、勤労感謝の日(かつての新嘗祭)に、銭亀沢八幡社の神主が、石崎-古川-新湊-銭亀沢-志海苔-根崎と回礼している。これ自体、歴史の古態を伝えるものとして注目される。
 戦前には、個人的な新築祈祷の場合でも、「大黒柱」をとり囲んで神官の祈祷を受けたが、現在は「地鎮祭」で代用している。