石崎町の二つの講

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 「明神講」は、一般に「女性の正月」といわれる旧暦一月十五日の「小正月」に、女性だけが神主を招いて、石崎八幡社に集まり、会食・雑談をする。これは、戦時中の一時を除いて明治から現代まで続いており、その目的は女性の安産祈願にある。町内を六班に分けて、一戸当たり、五〇〇円を持ち寄って食事代にあて、その食べ物は、当番の人が前日に準備する。現代では、五〇人前後が集まるという。
 「観音講」は、昭和から現代まで存続しており、地内の人は宗派に関係なく、勝願寺に毎月十七日に集まり、航行と家内の安全を祈念する。昭和十年に、勝願寺に観音様を建立した。お盆と正月には、盛大な祭りを催すという。この観音講は、前の勝願寺のところで確認した昭和六年の二三三名にのぼる「西国丗三番石像観音尊芳名帳」と全く符合する営みでもある。