津軽海峡圏の中での笑い話の位置づけ

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 伝承地は道南から日本海側を中心とした地域、本州では青森県一円、岩手県、秋田県の海辺の漁村に語り継がれている。かつて銭亀沢地区から増毛、千島樺太カムチャツカなどへ多くの人々が出稼ぎに出た。語り手の中にも出稼ぎ体験を持つ人びとがいた。こうした人びとが漁撈の間に聞いて帰り、語り広めたと思われる。
 また、銭亀沢地区の主な漁業は鰯漁であった。古川町は砂地で、一〇〇〇メートルの砂浜が続き、岩礁がないから曳網にもってこいの環境であった。根崎から石崎町の親方衆はほとんどここを根拠地にして、多いときは一〇か統くらいあった。たいまつを燃やして合図すると、馬でひっぱったり、女たちがコシビキといって腰に綱つけて網をひっぱる。「ヤッサ、エェ、ヤッサホー」と掛け声で合わせて、魚が入る網のフクロに近くなれば「ヨイサーヨイサー」とみんなで網を引く。腰で引いて、小道具で網をからげる。昭和二十五、六年頃までやった、という。時化のため番屋で寝ているときとか仕事のないとき、年寄りの人たちが暇つぶしに話して笑い興じていた。ヤドイといって津軽や南部の農村・漁村の人びとが出稼ぎにきていた。この人びとが自分の村の笑い話に繁次郎の名を冠せて話すこともあったろうし、別の人がそれを土産話として自村に持ち帰ったとも考えられる。江差の繁次郎の話では若い頃、腹抱えて大笑いした。働いているときも、休んでいるときも人が集まれば話した。酒を飲んでいる時でなくしらふでも話した、という。
 繁次郎のとんち話にある「イカいっぱい」の話は、イカ一匹のいっぱいと、たくさんのいっぱいを掛けて相手をごまかすという内容である。実生活の中において似たような話が生き生きと息づいていた。