昔、新湊に飲み水がなかったの。一人のお爺さんが「水飲ませてけれ」つて家に入ったんだと。水汲みがムジナ沢川まで行ったどこで時間かかってさ、なかなか帰ってこなかったんだって。「どこまで行ったんだ」つていうので、「冷っこい水汲みにずっとムジナ沢川まで行った。ここにいい水ねえんだ」といったと。「したら水授けてける」つて杖突いたっけ水湧き出たって。弘法様の授け水だというようになった。夏も冬も通しで一一度で、今でも井戸水として使用している(蛯子ノブ談)。
その他に次のような伝説がある。
*豊原の観音山には柏の雌木雄木の神木があり、長慶天皇御陵と伝わる(昭和十年十一月十一日付「函新」)。
*志海苔の大量の古銭出土(昭和四十三年七月十六日付「道新」)は、「銭亀沢の名の起こりが昔土中より甕を掘出したるにその中に銭多くありしゆえ地名になれり」(「蝦夷実地検考録巻四」)の伝説が真実となった。
*石崎の妙応寺には、日持上人が石崎を去って、椴法華より中国に渡るとき一字一石の経石を埋めたが、寺宝として亦・妙・具と書かれた三個の経石がある(「妙応寺日持山縁起」)。