[ファインダーからみた銭亀沢の記憶]

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 昭和四十二年夏、古川町と石崎町へ写真撮影に訪れたのが、銭亀沢地域とのはじめての出会いであった。
 ちょうどこの日は、石崎八幡神社の祭典の日で、幟や大漁旗を飾りつけた船による海上パレードには、町内の漁民が総出で参加していた。大漁と海上の安全を願うものであるという。
 初めてみるこの光景に、私は夢中でカメラを向けていた。
 ここに掲載した写真は、それ以来、昭和四十四年までの間に撮りためたものの一部である。一年を通じての漁業の様子、その仕事を分担する家族や暮し、地域の姿などを捉えた写真である。当時の記憶が今では歴史資料となった。

汐泊川旧河口より石崎方面を望む(昭和43年・新湊町)


志海苔漁港付近のわかめとサルメン採り(昭和43年・志海苔町)


採ったわかめを体一杯に下げた婦人(昭和43年・志海苔町)


モッコでサルメンを運ぶ老漁夫(昭和43年・志海苔町)


家族総出のわかめ干し(昭和43年・銭亀町)


海沿いの砂地は今より広く、海草干場などに利用されていた(昭和43年・新湊町)


ウニ漁に使った八尺を担ぐ漁夫(昭和43年・銭亀町)


ウニ漁を終えた船を迎え手伝う主婦(昭和44年・根崎町)


取ったウニの卵を取り出す家族たち(昭和44年・根崎町)


高台の畑へ種蒔きに向かう家族(昭和43年・銭亀町)


凧揚げを楽しむ子どもたち、後方の建物は旧番屋(昭和43年・古川町)


前日の大時化で、岸に寄った大量の昆布を拾う人びと(昭和43年・石崎町)


採った昆布を満載し岸に向かう船(昭和44年・石崎町)


浜は昆布採りの船と人びとで賑う(昭和44年・石崎町)


昆布採りには、家族総出で協力する(昭和44年・石崎町)


リヤカーで昆布干場へ向かう(昭和44年・石崎町)


荷馬車を頼み、大量の昆布を運ぶ(昭和44年・石崎町)


生育の良い昆布を身にまとい、豊漁を喜ぶ婦人(昭和44年・石崎町)


昆布採りの最盛期には、利用できる空地は総て昆布干場になる(昭和44年・志海苔町)


石崎八幡神社祭礼におこなわれる海上パレードに参加した船々(昭和42年・石崎町)


祭りの日、町内を練り歩く山車と人びと(昭和44年・古川町)


石崎八幡神社祭礼当日の石崎町(昭和42年・石崎町)


祭りの日、大漁を願い町内を練り歩く面々(昭和43年・石崎町)


イカの水揚げ、竹製のかごが珍しい(昭和42年・志海苔町)


風物詩「イカぶすま」(昭和43年・新湊町)


底冷えの季節、道端でのイカ割き作業(昭和42年・新湊町)


雪の朝、寒い中でイカ干し作業(昭和42年・新湊町)


旧汐泊川橋を行くバス、橋の後方に旧戸井線の橋桁が見える(昭和42年・新湊町)


氷が張った汐泊川、学生たちはスケートの代りにゴム長靴で滑る(昭和42年・新湊町)


寒い朝、町内総出の海苔摘み(昭和48年・銭亀町)


海苔摘みを終え、家路に向かう婦人たち(昭和48年・新湊町)


冬の波浪を避けるカモメの群れ(昭和42年・汐泊川河口)


豊漁と海上の安全を願い、浜に松を供え新年を迎える(昭和42年・新湊町)