当日の地元新聞の報道(図3.17)によれば、7月1日午前8時頃、恵山溶岩円頂丘の爆裂火口(通称第1噴火口)の噴気が止まったり、(火山ガスの濃度と温度変化で)紫色に変わっているのが目撃された(通称第2噴火口)。さらに、平常時では約180〜200℃を示した噴気孔温度が急上昇したためか、噴気孔周辺の硫黄の自然発火が注目された、とある。
図3.17 1962年(昭和37年)7月1日の恵山火山の異常現象を報じた新聞
7月1日の関係機関の対応及び住民の状況であるが、朝、十勝岳大爆発の直後のこともあって、恵山の噴火を恐れた硫黄採鉱中の作業員達は、即下山を始めた。尻岸内村役場(現恵山町)では、恵山一帯の登山を禁止し、消防団員が登山中の子供達を下山させた。7月1日午前11時より函館海洋気象台による噴煙状況観測が行われ、北海道渡島支庁による現地視察があった。当時、恵山火山には地震計の設置はなく、地震観測資料は得られてはいない(函館海洋気象台)。
以上のような恵山火山の噴気活動の活発化がみられたが、これらが衰微し、終息した日時についての確かな記録はないようである。
このほかに、他火山の噴火活動により恵山地域へ降灰があったことを示す記事など、火山活動が恵山地域へ何らかの影響を及ぼした噴火記録として、次のようなものがある。
1640年(寛永17年)の北海道駒ヶ岳噴火による降灰(椴法華村史年表)
1883年(明治16年)の樽前山噴火による降灰(函館新聞 椴法華村史年表)
1929年(昭和4年)の北海道駒ヶ岳噴火による降灰(函館日日新聞 椴法華村史年表)
上述したように、恵山地域では噴火に伴う直接的な災害の記録は少ない。しかし、山ツキ、土砂くずれといった、不安定な地盤の多い活火山地帯に多くみられる災害の記録は数多く残っている。