土器と石器 早期後半には、道内での土器の形態上の違いは消え、縄を押しつけたり、回転させたりした絡条体圧痕文(らくじょうたいあつこんもん)、組紐(くみひも)圧痕文が施文された土器や、斜行縄文、羽状縄文、それに細い隆起線を組み合わせた平底土器がほぼ全道的に出現する。東釧路Ⅲ式(第8図22)・Ⅳ式、コッタロ式・中茶路式(第8図23~29)などと呼ばれる土器群である。
石器は平底土器群とは違った、尖底土器群にみられた組み合わせに近くなる。つまみのあるナイフ、両面加工のナイフ、磨製石斧、石錐、細身で長身な石鏃やドーナツ状の環頭石斧(かんとうせきふ)などがみられる。土器の形態、文様が均一になっても、尖底土器群で特徴的な石器であった、断面が三角形の磨石は道東・道北では稀である。
住居 この頃になると、安定した状態で各地に集落跡を残しているが、道南では中規模なものが多く、道東では小規模なものが多い。住居跡の平面は多角形のもの、円形、長円形、隅丸方形、不整円形などがあり、床面中央に炉を設けた例が多く見られるが、柱穴の状況はよくわかっていないものが多い。
墓と貝塚 東釧路遺跡では貝層の下からは2基の墓壙が発掘され、そのうちのひとつは土壙中に赤色塗料のベンガラが散布され、玉髄製の石片をやはりベンガラでくるんだ副葬品が出土し、他の1つからはその上にベンガラが散布された屈葬にちかい姿勢で埋葬された人骨と、赤色に塗られた土器が出土している。
網走市網走湖底遺跡、釧路市東釧路第1地点などのような小さな貝塚が道東に分布し、魚骨・海獣骨・陸獣骨・貝類が出土している。貝塚から出土した温暖種の貝類は気候の温暖化の進行を、網走湖底遺跡の存在は当時の海水面がまだ現在よりも低かったことを示す。