昭和の前期−戦前・戦時、終戦に至る20年間は、『大正デモクラシーから一転し昭和恐慌(昭2)に見舞われ、活路を求めて大陸への進出・満州事変・満州国の建国(昭7)、国内では頻繁に起こる軍部クーデター(昭11.2.26事件)・ファシズムの道をひた走る、蘆溝橋事件(昭12)・日華事変・戦火は大陸全土に拡大、挙国体制(昭15)大政翼賛会の結成・軍部が政権を握り太平洋戦争(昭16.12.8)へ突入・第2次世界大戦、首都圏・全国主要都市は空爆で焦土・昭和20年8月6日9日広島・長崎が原子爆弾の投下をうけ一瞬にして廃墟と化し数十万人の死者をだし、敗戦(昭20.8.15)』という、かってない激動の期間といえよう。郷土は幸いにして直接戦火にさらされるようなことはなかったが、20年の期間に8名の村長、平均すると2年6か月の在職、助役(上席書記)に至っては12名、平均1年に満たないといった実態からも、また、前項(8)でも記したように、この期間(特に後半は)いわゆる正常な行政執行が行われる状態にはなかったと想像される。
以下、郷土尻岸内村の三役の経歴等について述べるが、地方自治としての特色ある業績は前述の状況から認めがたい。
なお、1926年12月25日、大正天皇が崩御せられ、改元(大正15年12月25日が昭和元年12月25日に改められる)された当時の三役は、村長菅原直次郎、上席書記(助役)嶋谷藤吉、収入役小田桐喜三郎が現職にあったが、そのまま引き続き、菅原直次郎は翌年の昭和2年12月15日まで勤め退職、嶋谷藤吉は昭和3年4月11日まで勤め後転任、小田桐喜三郎は昭和6年7月20日任期満了で退職している。