郡区町村編制法(地方制度三新法) (明治11年7月22日)

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 『郡区町村編制法』(太政官布告第17号)は、「府県会規則」(太政官布告第18号)、「地方税規則(府県税及民費ノ名ヲ以テ徴収セル府県費区費ヲ地方税ト改メ規則ヲ定ム)」(太政官布告第19号)とともに、いわゆる地方制度の三新法といわれている。
 
 郡区町村編制法
第一条 地方ヲ画シテ府県ノ下郡区町村トス
第二条 郡町村ノ区域名称ハ総テ旧ニヨル
第三条 郡ノ区域広濶ニ過ギ施政ニ不便ナル者ハ一郡ヲ画シテ数郡トナス(東西南北上中下某郡ト云ガ如シ)
第四条 三府(東京・京都・大阪)五港(長崎・横浜・神戸・函館・新潟)其他人民輻輳ノ地ハ別ニ一区ト為シ、其広濶ナル者ハ区分シテ数区トナス
第五条 毎郡ニ郡長各一員ヲ置キ、毎区ニ区長各一員ヲ置ク、郡ノ狭小ナルモノハ数郡ニ一員ヲ置クコトヲ得
第六条 毎町村ニ戸長各一員ヲ置ク、又数町村ニ一員ヲ置クコトヲ得但シ区内ノ町村ハ区長ヲ以テ戸長ノ事務ヲ兼ヌルコトヲ得
 
 なお、この法は、翌明治12年4月8日、法の施行手続き等に関する条項、第7条・第8条・第9条が追加された。
 この三新法施行の理由について、政府は大小区制を率直に反省し、同時に施行順序も具体的に示している。まず、反省と施行理由は、「数百年慣習の郡制をやめ新しい大小区制を設けてみたが、人心に適さず便宜さを欠き弊害も多かった。地方の区画は、美法良制だけでは、その地方の実情に合致しないということが判ったので、多少不完全でも固有の慣習によって行政区とすることとした。地方行政制度の区画と住民社会独立の区画とが混交することとなるが、これを分けるのは将来のこととし、府県都市は行政区画と住民独立の区画の2種類の性質を持たせ、町村は住民独立の区画とし、都市吏員は2種の事務を兼掌すること(地方体制三大新法理由書・自治民政資料)と述べ。施行順序については、改正は実地都合に応じ区画を設置することとし、費用負担も慣習の旧法でよく、府県会議開設の緩急も地方長官に任せ、地方税の税目もその地方要用費目は政府の裁定を受ければ徴収可能とする。また、地方税は地方一般の利害に関するものとし、区町村限りの利害に関するものは協議費で支弁することとしている(郡区町村編制府県会地方税両規則施行順序・法令全集)。
 郡区町村編制法は、わずか6か条からなる簡明な法で、地方区画の基本線を示したものである。郡区の規模等は地方の実状に則して決められるもので、府県の布達で具体的に実施されるものであった。
 
 「府県会規則」について
 府県会規則では、府県会に、地方税で支弁する経費の予算及び徴収方法を義定する一定の参政権が与えられた。この選挙資格は、地祖5円以上納入の20才以上の男子、被選挙資格は、地祖10円以上納入の25才以上の男子と、有産階級の参政範囲を明示した。選挙方法は、予め配布された投票用紙に、選挙人被選挙人の住所姓名年齢を記入し、所定の日に郡区長に提出する方法で、「投票は代人に託しても妨なし」であったから、有力者に有利な選挙方法であった。しかし、議案発案権は府知事・県令が握り、議決事項は府知事県令の許可後施行できるもので、さらに、対立事項はについては、府知事県令が内務卿(大臣)に上申して指揮を請うこととなるなど、府県会は、国家権力の強力な規制下におかれていた。
 
 「地方税規則」について
 地方税規則は、地方制度の改革に沿った地方税制の整備であり、地方税目は「地祖5分1以内」「営業税並雑種税」「戸数割」の3種と規定された。地方税で支出する費目は「河港道路堤防橋梁建築修繕費」「府県会議諸費」「流行病予防費」「府県立学校費及小学校補助費」「郡区庁舎建築修繕費」「郡区吏員給料旅費及庁中諸費」「病院及救育所諸費」「浦役場及難破船諸費」「管内限り諸達書及掲示諸費」「勧業費」「戸長以下給料及戸長職務取扱諸費」と定められた。区町村限りの入費については、「其区町村内人民ノ協議ニ任セ地方税ヲ以テ支弁スルノ限リニアラズ」となった。つまり、広く府県に係わる費途は地方税対応となり、区町村限りの費途は協議費対応となった。予算案については、毎年2月まで府県知事県令は、翌年度の予算を立て、府県会の決議を経て5月までに内務卿大蔵卿に報告することになった。
 (以上、函館市史通説編第2巻 349・350P、367・368Pを参考とする)