(1)漁業改革・新しい漁業法

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 何とか飢餓状態を脱した昭和23年(1948)12月、食糧生産復興の気運に向かい「水産協同組合法」が、翌24年12月には、新しい漁業法が公布されて漁業制度の大改革が断行され、また、この年の8月には「道漁連」(北海道漁業団体連合会)が発足した。
 この漁業制度の改革はわが国の漁業史上に特筆される重大な意義を持つものであった。
 
新漁業法(昭和24年12月15日公布、同25年3月14日施行)
 この法律の大きなねらいは漁業生産力の発展と漁業民主化を同時に行う点にある。
 漁業生産の発展というのは、ある海区の漁業を総合的に調整して海区全体の漁業生産量を引き上げることであり、個人の生産力にとらわれず大きく海区全体から考えていこうとする点に改革の目標がおかれた。
 また漁業の民主化は漁民の職場である海上での民主化を漁村の民主化(水産協同組合法による)と並行して進めようとするものである。すなわち漁民の選挙により各海区から選ばれた海区漁業調整委員により、新漁業法の二大目標を最も実現しやすい漁場計画が立てられ、法の施行後2年の準備期間を経た後、現在の漁業権を一斉に消滅させ、同時に新しい体制を作ろうとするものである。
 ためにこの期間は漁業権の新免許、変更の禁止、漁業権移転の制限貸与契約、入漁契約の不当な解除、更新の拒否が禁止された。また、漁業権者、入漁権者、賃貸権者使用貸借による借主権者に対しては保証金が交付され、保証金は基準年度の賃貸料、漁獲金額を基準とし財産評価方式によって定められた漁業証券が交付されることとなった。漁業権は定置漁業権、区画漁業権、共同漁業権は従来の専用漁業権、特別漁業権を廃止して新設されたもので、漁業協同組合がこの共同漁業権を持ち、組合員に平等に漁業を営ませるようになった。
 漁場はおおむね沖合千600メートルから最長4万メートルまでを区域とし、貝類、藻類、海鼠(ナマコ)などが主なものである。
 
 この法に基づき北海道では49海区が決定された。
 尻岸内は恵山海区に属し、昭和24年8月15日の海区調整委員選挙には7人の漁民委員(ほかに知事選任の学識委員2人、広益代表委員1人)が選ばれた。その後、海区の統合調整が行われ、恵山海区は廃止され渡島東海区となり新たな編成に組み入れられた。また、漁業法の一部が改正され、北海道に限り調整委員の漁民代表は11人になった。
 新しい許可漁業をみると、農林大臣許可のほかに北海道漁業調整規則により知事の許可を要するものと、その海面を管轄する支庁長の許可を要するものとがある。
 なお、戦後とられた経済統制に引き続いて実施されたこの漁業制度改革については、次のように評価されている。『漁業制度改革は不徹底なものであったにせよ、相対的民主的改革といわねばならない。漁業制度の諸施策が従来の仕込み制度の中に見られる漁村の半封建的拘束に対し痛撃を与えたことは否めない。この意味において漁家には前時代的商人資本のクビキ(頸木、車の轅(なが)えにつけて牛馬の後首にかける横木)を脱し得て、独立自営的な道を進み得る可能性が与えられたと言っていい』(北海道漁業研究50P)
 この漁業制度の改革によって沿岸および沖合の過剰操業が、それぞれ沖合、遠洋へと向けられることとなり、その結果、戦前のわが国の国際漁場が逐次回復を見ることになる。
 
尻岸内村における区画漁業権免許状況』
〈知事の許可を要するもの〉
一 たらばがに刺網漁業
二 にしん流網漁業
三 さけます流網漁業(総トン数三十トン未満の動力漁船を使用するもの)
四 まき網漁業(大型まき網漁業を除き、総トン数五トン以上の動力漁船を使用するもの)
五 さんま棒受網漁業(動力漁船を使用するもの)
六 いか釣漁業(『北海道漁業調整規則の別表』に掲げる海域において、動力漁船を使用するもの)
七 めぬきうお延縄漁業(動力漁船を使用するもの)
〈支庁長の許可を要するもの〉
一 にしん刺網漁業
二 さけます刺網漁業
三 すけそうだら刺網漁業(動力漁船を使用するもの)
四 かすべ刺網漁業
五 はなさきがに刺網漁業
六 さけます流網漁業(動力漁船を使用しないもの)