当初、この宿泊所は『会所』と呼んでいたが、後、旧運上屋(役人が駐在)だけを会所と呼び、宿泊する施設は『旅宿』または『通行屋』と呼び区別するようになった。
この施設は、その規模により、番人や人夫・駅馬・船を置き、船の継立て、急用の場合の早馬・早走(飛脚)・早船なども扱うようになった。
すなわち、『会所』は役人による公的な事務(行政)を扱い、旅人・輸送に関する実質的な業務は、専門業者による請負業務として行われるようになった。
これらの施設と業務・制度は『駅逓・駅逓制度』と呼ばれるようになり、次第に充実・発展し、広い蝦夷地の旅行も次第に便利になっていった。