下海岸の自動車による貨物の輸送は、大正14年2月、函館の旭自動車株式会社が資本金2万5千円・トラック10輛で下海岸貨物自動車株式会社を設立、運行したのに始まる。当時の貨物陸上輸送の大半は馬車輸送であったが、その組織、湯の川・戸井間乗合馬車連合組合は翌15年3月、第11回の総会を開催。対策を練ったものと推察する。
自動車による貨物輸送は下海岸道路改良の進捗に合わせて延長されるとともに、この事業に新たに参入する業者も年々増加してきた。
昭和4年3月、函館乗合自動車・貨物自動車部、下海岸貨物運搬を実施する。
昭和4年8月、函館乗合自動車、戸井・日浦行貨物自動車運航開始する。
昭和5年7月、自動車による下海岸方面の郵便逓送、馬車輸送となる。
・乗合自動車の組織と乗合馬車連合組合との協議の結果か。
昭和5年12月、下海岸自動車株式会社、株主総会で事業目的を函館・椴法華間の乗合貨物の運搬及び貸自動車並びにこれに付随する一切の事業に変更する。
・乗合自動車の運行を貨物運行まで事業を広げる。
昭和6年6月、函館丸玉自動車、下海岸から陰海岸沿岸、森・大沼方面まで貨物自動車運行を開業する。
昭和6年9月、株式会社□高木支店、下海岸・鹿部・熊泊方面への貨物運搬を開始する。貨物自動車の運行は、生活物資の流通に下海岸の新鮮な魚介類を消費地函館に出荷する上で大いに役立った。ただ、運賃の点で資材や大量の物資の輸送については、まだ船便が主役であった。