これは、古武井小の沿革誌の第8青年会の項に記したが、義務教育終了後、全員が入会する「青年会」(学習・奉仕活動ともに地域の娯楽・スポーツ活動の場でもあった)を母体として青年訓練所・青年学校への参加を促し組織の一体化を図ったこと、しかも青年学校長は各小学校長、指導者に教えを受けた教師もおり入学は当然であったと思われる。
併せて、青年訓練所大会への参加や教練の査察や佐官級の現役軍人の訓話などから、多くの青年達はナショナリズムを高揚させ、自らの意思での入学でもあると思われる。
青年学校は、昭和14年(1939)男子のみ就学義務化となるが、尻岸内村においては青年団員数から推測し、女子も100パーセントに近い就学率であったと思われる。
『渡島教育』(社団法人渡島教育会・昭和11年創刊号)では尻岸内村青年学校生徒数は以下の通りである。
〈普通科〉1年49名、2年58名
〈本 科〉1年41名、2年61名、3年51名、4年57名、
5年13名、研究科なし、計330名
図
・印は各小学校の教員兼務 *旧根田内、昭和8年字名改称により恵山となる