四、部落会、町内会

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  戸井町々内会の沿革と組織
 〔東部地区町内会の概要〕
 本町で東部地区と称するのは、一般的に、戸井町字瀬田来から同町字原木までの地域を指している。
 この地域は、昭和四十三年十月の町制施行の時まで、「本村地区」といわれていた。これは、明治三十五年に二級町村制が施行されて、小安村、戸井村が統合されたが、戸長役場時代は、「戸井村外一村戸長役場」という名称で、役場庁舎が戸井村地区におかれたからである。
 この地域の部落組織を調査してみたが、各部落会の記録や資料が少なくて不明の点が多い。
 戦時中の各部落の組織や運営を調べて見ると、部落会というより、本村地区全体が、村役場の広報伝達、業務補助の機関としての役割をして来たものと思われる。
 しかし、昭和二十年以降、民主憲法の制定、地方自治法等の制定により、新しい村づくりの指針が示され、これらが地方の末端まで次第に浸透するようになった。
 戦時中から終戦までにかけての隣組制による、部落連帯制度は解体されたまゝ、昭和三十年頃までは本町の本村地区も殆んど休眠状態(未組織)であったようだが、新しい部落づくり、町内会づくりの動きがこの頃よりみられるようになった。
 それは、民主的自治団体の形成は、地域住民を主体とすることが前提であったことから、住民意識の高揚がつとに叫ばれ、このための行政諸機関(支庁・役場)による指導が部落会、町内会づくりの一端になったことは否定できない。
 従って、東部地区の部落会、町内会が本格的に組織化されたのは、昭和三十二年頃からといってもいいだろう。
 以下各町内会の概要を述べる。
 
 1、瀬田来町々内会
 瀬田来町内会(町制施行までは部落会と称した)は、部落の共有財産である山林、共同干場等の管理の必要上、相当古くから部落組織が結成されていたというが、昭和十年頃、部落会の関係資料が火災により殆んど焼失し、結成年月等は不明だという。
 現町内会長後藤亀雄の記憶によると、大正初期(五年頃)から組織的な活動が行なわれてきたという。これは、その頃毎年のように、当時の部落会長宅で共有林や共同干場をめぐる大寄合いが行われ、大正未期には、部落集会所(事務所)等も設置されたなどということが、その例であるという。
 終戦後、東部地区の各部落組織が解体されたが、瀬田来部落は解体されることもなく、休眠もせずに現在に及んでいるという。昭和十年頃部落会資料の焼失以来部落会の会則もなく、戦後新たに組織化されたということもないので、慣例によって部落運営が行なわれている。
  (イ)歴代部落会長(大正期、就任年月日不明)
  吉崎 岩吉、小柳 吉太郎、吉崎 力松、吉崎 松四郎
昭和期の部落会役員
会長副会長書記兼会計就任年月
西崎吉太郎不詳中谷寅次郎不詳
石田源次郎石田豊次郎不詳不詳
高田正太郎木村清蔵後藤亀雄不詳
西崎桃太郎木村清蔵後藤亀雄不詳
芋川親造後藤亀雄高田幸太郎昭十六年頃
西崎吉太郎後藤亀雄高田幸太郎不詳
小柳富雄後藤亀雄高田幸太郎不詳
吉崎岩吉後藤亀雄高田幸太郎不詳
後藤亀雄館山己之吉高田幸太郎自昭和四三 至現在

 
  (ロ)現在の組織(昭和四十六年十月現在)

(ロ)現在の組織(昭和四十六年十月現在)

  町内会各班長氏名 (任期一年)
第一班  長谷川 正章   第六班  長谷川 金之助
第二班  館山 市三郎   第七班  桜井 浅蔵
第三班  後藤  猛    第八班  中谷 寅吉
第四班  川村 利通    第九班  細田 春光
第五班  安田 亀義    第十班  松田 光信
  (ハ)決議機関
  総会       毎年一回 正月頃開催
  臨時総会     毎年一回 七月頃開催
  役員会兼班長会議 毎年五~六回開催
  (ニ)町内会の協讃行事
  瀬田来神社祭典行事協讃、子供愛護会後援
  町民体育祭協讃     敬老会援助
  (ホ)町からの委託業務
  国民年金、水道料、保健衛生の各業務。
  (ヘ)町内会費 年額・一、二〇〇円
  主な使途  町内各団体(婦人会、老人クラブ)助成、衛生、会議、事務、交際費その他。
 
 2、弁才町々内会
 弁才町々内会は、昭和三十五年七月六日に設立発足した。戦前は、隣組制により部落組織が形成されていたが、終戦と同時に解体している。
 昭和三十年頃、町内に防犯灯(街路灯)を施設し、明るい町内会にしようという気運が盛り上がり、これが町内会設立の契機となった。
 現在では、年間事業計画に基づき、文化、厚生、警防等の面で組織的活動を行なっている。
  (イ)歴代町内会長
  初代  本間 作太郎  自昭和三五年七月 至昭和四三年一二月
  二代  足達  広   自昭和四四年一月 至現任

(ロ)町内会の組識(昭和四六年一〇月現在)

  町内会各班長氏名(任期 一年)
第一班  石岡 常治    第六班  池田 啓治
第二班  田村 鶴雄    第七班  山本 悦也
第三班  池田 勝三郎   第八班  久保田 初男
第四班  西邑 新造    第九班  高田 正雄
第五班  小柳 茂男    第十班  二問 二郎
  (ハ)決議機関
  総会      毎年一回 正月頃開催
  臨時総会    必要により開催
  役員、部長会  毎年四~五回 必要により開催
  (ニ)町内会主催及び協讃行事
  主催行事  敬老会
  協讃行事  宮川神社祭典行事協讃
        子供会後援 町民体育祭協讃
  (ホ)町からの委託業務(他町内会に同じ)
  (ヘ)町内会費 年額 一、〇〇〇円
  主な使途  街灯維持、町会運営、事業、諸行事
 
 3、町々内会
 町々内会は、昭和三十二年頃設立発足したと言われるが、資料がないので正確な設立年月は不明である。
 戦後、有線放送、街路灯等の部落的施設がないまま、また、未組織状態が十数年続いていたのであるが、昭和三十二年頃、他町内会の結成に先がけ、村行政の広報伝達町内防犯体制の必要性から、戦前の隣組を組織化し、新しい町内会を設立している。
 また、他町内会に比べ組織の規模も小さく、町からの委託業務も一部は婦人会が行なっている。
  (イ)歴代町内会長
  初代  伊藤 賢一    自町内会設立時  至昭和三八年一二月
  二代  佐々木 直俊   自昭和三九年一月 至昭和四一年七月
  三代  堀田 善記    自昭和四一年八月 至現任

(ロ)町内会の組織(昭和四六年一〇月現在)

  町内会各班長氏名(任期一年)
第一班  伊藤 重夫    第三班  池田 宇吉
第二班  谷藤 正行    第四班  伊藤 治嘉
  (ハ)決議機関
  総会       毎年一回 正月
  臨時総会     毎年二回 六月、九月
  役員及び班長会議 年 二回
  (ニ)町内会協讃行事
  宮川神社祭典行事協讃、戸井町永友会後援
  町民体育祭、町民文化祭協讃、子供会後援
  (ホ)町からの委記業務
  水道料の徴収、広報の伝達、保健衛正、他
  (へ)町内会費 月額 七〇円
  主な使途  町内防犯灯の維持管理費
        町内会諸行事費 その他
 
 4、館町々内会
 昭和十年頃、より戦時中にかけて、館町から東浜町までが一部落であったが、戦後は解体し、未組織のまま十数年を経ている。
 館町町内会が設立発足したのは、昭和三十四年四月十日である。戦後新しい部落組織のスタートは、この年から始まったのであるが、しかし、館町部落には、明治後期或いは大正前期頃より館鼻家族会と称する親睦団体があった。(戦時体制に入って自然解消)
 また、発句会と称し、役場職員、神官、僧侶、医師等の文化人の集り等もあり、古くから町内意識が高く、活発な部落であった。このように古い時代の家族会や発句会等の復活意識が町内会の結成に及んだと言われる。(現会長 河村武男談)
  (イ) 歴代町内会長
  初代  丹羽 和八    自昭和三四年四月 至昭和四四年一二月
  二代  河村 武男    自昭和四五年一月 至現任

(ロ) 町内会の組織(昭和四六年一〇月現在)

  町内会各班長氏名(任期一年)
第一班  谷藤  衛    第五班  池田 栄治
第二班  四村 広康    第六班  四村 善司
第三班  滝沢 喜一    第七班  布施 辰雄
第四班  伊藤 幸章
  (ハ)決議機関
  総会      毎年一回・正月に開催
  臨時総会    必要により開催
  役員兼班長会議 必要により開催
  (ニ)町内会主催及び協讃行事
  主催行事  町会旅行会(隔年毎)
  協讃行事  宮川神社祭典行事協讃、永友会後援、町民体育祭
  (ホ)町よりの委託業務(他町内会に同じ)
  (へ)町内会費 月額 一〇〇円
  主な使途 街灯維持管理、運営、慶弔、その他
 
 5、西浜町内会
 西浜町内会は、昭和三十八年二月に設立発足している。東部地区町内会で最後に結成されたが、戦時中に川端栄吉、斉藤松太郎、斉藤政一等町内有志がより集い、西浜部落会なるものが結成されたが、終戦と同時に解体している。
 戦後、近隣町内会の結成と相まって、昭和三十八年に「民主的町内会」をスローガンとして結成された。
 結成のきっかけは、町内会の街路灯の施設からである。
 各町内会は既にこれらの施設が完了していることから、当町内会もその気運となり、丹羽和一宅で町内会規約の原案作成、設立を見たのである。
  (イ)歴代町内会長
  初代  丹羽 和一    自昭和三八年二月 至昭和四三年一二月(三期歴任)
  二代  山田 三郎    自昭和四四年一月 至現任

(ロ)町内会の組織(昭和四六年一〇月現在)

  町内会各班長氏名(任期一年)
第一班  伊藤 藤一    第八班   吉田 喜一郎
第二班  原田 長俊    第九班   斉藤 貞雄
第三班  加藤 磊蔵    第一〇班  松野 光政
第四班  古一 武次郎   第一一班  安田 道男
第五班  大浅 利光    第一二班  小田 茂雄
第六班  古川 俊一    第一三班  下里 光雄
第七班  田浦 ムメ    第一四班  北川 順一
  (ハ)決議機関
  総会    毎年一回 一月に開催
  役員会   毎年四~五回 必要により開催
  (但し役員会に各班長を含む場合もあり)
  (ニ)町内会の協讃行事
  宮川神社祭典行事協讃 永友会後援 子供会後援、町民体育祭協讃
  (ホ)町よりの委託業務(他町内会に同じ)
  (ヘ)町内会費  月額 五〇円
  主な使途  街路灯の維持管理 運営、行事等
 
 6、東浜町内会
 東浜町内会の設立については、資料が乏しいので不明の点が多い。ただ、戦前は、上からの行政指導等により部落の組織があったようである。
 しかし、終戦と同時にこれらの組織も解体し、未組織のまま昭和二十七、八年頃まで経過している。
 戦後、新しい部落組織、町内会の原形が作られたのは昭和三十年以前であり、「本村地区」町内会でも早くから組織的活動の行われた町内会である。(現会長 佐々木義政談)
 会則原案あるも設立年月の記載はない。
  (イ)歴代町内会長
  初代  水戸 米次郎   自設立時     至昭和三一年一二月
  二代  宇美 金松    自昭和三二年一月 至昭和三五年一二月
  三代  宇美 藤蔵    自昭和三六年一月 至昭和三七年一二月
  四代  金沢 鉄之助   自昭和三八年一月 至昭和四二年一二月
  五代  佐々木 義政   自昭和四三年一月 至現任

(ロ)町内会の組織(昭和四六年一〇月現任)

  町内会各班長氏名(任期一年)
第一班  佐々木 信太郎  第八班   伊藤 鉄男
第二班  柳田 尚文    第九班   佐藤 武男
第三班  白鳥 圭一    第一〇班  飯野 信春
第四班  斉藤 貞二    第一一班  館山 憲蔵
第五班  水戸 忠一    第一二班  大橋 吉松
第六班  佐藤 辰雄    第一三班  松代 哲也
第七班  松野 由明    第一四班  松岡  勇
  (ハ)決議機関
  総会        毎年一回 正月に開催
  部長会議      必要により開催
  役員兼班長会議   年三~四回 必要により開催
  (ニ)町内会協議行事
  宮川神社祭典行事協讃 永友会後援 子供会後援 町民体育祭協讃
  (ホ)町よりの委託事務(各町内会に同じ)
  (へ)町内会費  月額 七〇円
  主な使途  街路灯維持管理 協讃行事 運営諸費 その他
 
 7、原木、二見町内会
 原木、二見町内会は、昭和三十二年二月一日に設立発足した。この部落は古くより「二八会」と称して、年に旧正月の二月と、お盆の八月に部落民が集い合い、部落民の親睦と共通問題を解決するための例会が行なわれていた。
 日新小学校鎌歌分校校長、長尾健次は特に部落会のことに熱心であり、活発な部落組織の活動が行なわれていたと伝えられている。(当時の資料に乏しいのが残念である)
 然し、古くからの二八会も戦時体制下において「二会」のみとなり、さらに隣組制へ移り、終戦と同時にこの組織も解体、昭和三十二年まで未組織のまま休眠状態を続けて来た。また、戦後、東部地区町内会として最も早く結成されている。その動機は、やはり旧来の部落意識が、新しい組織の早期実現を望んでいたことにあると思う。
  (イ)歴代町内会長
  初代  佐々木 兼松   自昭和三二年二月一〇日 至昭和四四年八月二二日
  二代  桜庭 藤三    自昭和四四年九月    至昭和四五年一二月
  三代  佐々木 平吾   自昭和四六年一月    至現 任

(ロ)町内会の組織(昭和四六年一〇月現在)

  町内会各区長氏名
第一区  佐藤 兼三郎   第五区  藤本 芳雄
第二区  鳴海 唯正    第六区  伊藤 松之助
第三区  古谷 亀太郎   第七区  四戸 竹松
第四区  佐々木 秀作
  (ハ)決議機関
  総会    毎年一回  正月頃開催
  評議員会  毎年四~五回必要により開催
  (ニ)町内会協讃行事
  原木神社祭典行事協讃 敬老会後援 子供会後援 町民体育祭協讃
  (ホ)町よりの委託業務(他町内会に同じ)
  (へ)町内会費  年額、一、〇〇〇円
  主な使途  教育、衛生、消防、社会福祉その他
 
 以上、戸井町内会、東部地区(七町内会)の沿革と組織の概要である。設立の動機やその経緯等々、各町内会それぞれの特徴を持っていないが、町内会の意識を高め、町行政との連絡、町内会同志の連携等、縦横のつながりを深め「民主的町内会」の実現こそ各町内会共通の課題とされている。
 
  [戸井町会連合会の沿革]
 戸井町会連合会の設立は、昭和三十九年一月一日である。戦後、単位町内会が結成されたのは、昭和三十二年から昭和三十八年頃までである。これまでの単位町内会は、西部地区の各町内会、それに東部地区の瀬田来町内会等、戦前の部落組織がそのまま継続されているものと、戦後解体し、新たに結成されたもの(東部の町内会)がある。
 何れにせよ、これら町内会の組織化が進められたのは、行政諸機関からの要請や指導の力もあったが、町内会としての当面する諸問題(街路灯の施設、ゴミ処理等)を町内で解決しようとしたことによって促進されたのである。
 また町内会によっては、会員相互の親睦を深め、明るい町内会、町行政との相互連絡により町内会の発展(民主的町内会)を目標として、戦前の組織を再現したところもある。
 こうして昭和三十八年二月、東部地区西浜町内会を最後に、戸井町の町内会づくりが完了したのである。
 この頃、汐首部落会の会長鈴木寅吉が戸井町町内会の一本化の必要性を提言している。
 それは、西部、東部各町内会の共通問題が表面化していたことにある。
 一、共同火葬場の設置  二、共同ゴミ、し尿処理、  三、社会文化施設  四、児童のための施設等々である。これらのうち、特に連合会結成のきっかけとなったのは、共同火葬場の設置である。
 これまで、各町内会では、遺体を野天で火葬して来たのであるが、野天焼は、あまりにも原始的な方法であるということが町民の間で話題となり、何んとか共同の火葬場をと叫ばれたのである。昭和三十八年十一月、西部地区(小安から汐首まで)、昭和三十八年十二月、東部地区(瀬田来から原木まで)にそれぞれ近代的共同火葬場が設置されたのである。
 このような事業は、各町内会が単独でなし得ることではなく、従って、戸井町の町内会が一体となって町行政への働きかけ、或いは各町内会同志が共通理解を持たない限り実現は不可能であったのである。
 こうして、昭和三十九年一月、各町内会の連絡組織としての「戸井町会連合会」が誕生したのである。
 事務所は、町役場内にある。
 
  (イ)戸井町会連合会の歴代役員
  第一期 (自昭和三九年一月、至昭和四〇年一二月)
   会長   鈴木 寅吉(汐首部落会長)
   副会長  川島 一雄(小安部落会長)
   監事   丹羽 和一(西浜部落会長)
   同    後藤 亀雄(瀬田来部落会長)
   理事   浜谷 才市(釜谷部落会長)
   同    本間 作太郎(弁才町々内会長)
   同    佐々木 直俊(町部落会長)
   同    丹羽 和八(館町町内会長)
   同    金沢 鉄之助(東浜部落会長)
   同    佐々木 兼松(原木二見町会長)
  第二期 (自昭和四一年一月 至昭和四二年一二月)
   第一期に同じ但し、任期途中に、弁才町々内会長の本間作太郎が足達広に、館町々内会長丹羽和八が河村武男に西浜町内会の丹羽和一が山田三郎に代っている。従って、町会連合会の理事をも代行している。
  第三期 (自昭和四三年一月 至昭和四四年一二月)
   会長   丹羽 和一 (西浜町内会長)
   副会長  佐々木 兼松(原木二見町会長)
   理事   足達 広(弁才町々内会長)
   理事(会計)米谷 富克(釜谷町内会長)
   監事   後藤 亀雄(瀬田来町内会長)
  第四期 (自昭和四五年一月 至昭和四六年一二月)
   会長   堀田 善記(町々内会長)
   副会長  佐々木 義政(東浜町内会長)
   理事   足達 広(弁才町町内会長)
   理事(会計)伊藤 徳三郎(汐首町内会長)
   監事   山田 三郎(西浜町内会長)
  (ロ)町会連合会の目的
  戸井町会連合会の目的は、次の三点にある。
  一、各町会の連絡協調を図ること。
  二、町会相互の助成発展を図ること。
  三、町会組織の維持向上を図ること。
  (ハ)町会連合会の役員
  右の目的達成のため必要な事業を行うことと、町会の活動推進のため次の役員が置かれている。
  会長一名.副会長一名、理事二名、監事一名(任期は二年である)
  (ニ)会議及び議決事頃
  一、町会長会規約、収支予算、事業に関する事項
  二、役員会、町会長会の委任事項及び会費に関する事項

(ホ)戸井町会連合会の組織(昭和四六年一〇月一日現在)