明治の頃大江鉄太郎(大江栄作の父)上田村の先代が発起人となり、大工〓斎藤勝太郎(斎藤松太郎の父)が建材を切り込んで、駄馬で運び小祠を建てた。この小祠が腐朽したので丸山の龍神を信仰していた金成(きんせい)のお婆さんが建材を切り込んだものを駄馬で運んで改築した。これが現在の堂祠である。
丸山明神の祠(例祭日)
古老の語る丸山参詣の状況は次の通りである。
参詣の人々は木で大刀小刀を作って腰にさして登山し、鳥居の前に煙草をおいてお堂のあるところまで登る。龍神は煙草を嫌うと信じられ、鳥居をくぐったら煙単を吸わなかったものである。お堂の近くに北向きの穴があり、その穴の中に龍神が居ると信じられている。参詣の人々は穴の前に持って行った卵、魚、赤飯などを供え、鰮、鮪、鰤、いかなどの大漁をそれぞれ祈願し、お堂の所へ戻って持参した酒をくみ交しながら雑談をして、三十分位して穴の所へ行って供物の状態を見るのである。不思議に供えた卵や魚がなくなっている。それを見て「今年は鮪が大漁だとか、鰮が大漁だとか」とそれぞれ判断するのである。参詣が終ると持っていった木の大刀小刀をお堂のとこへ置いて帰るのである。龍神について左記のような話が伝えられている。
明治時代に丸山附近で木こりをしていた田畑七五郎という人の語ったことである。
この頃丸山附近で木を切っていた古武井の木こりが、笹積山の竹原に小屋をつくり、そこに寝どまりして伐採していた。
この木こりが月夜の晩に鋸と斧をといでいたところ、竹やぶが大風が吹いたようにざわざわと鳴った。風もないのに不思議だと思って小屋の外へ出て見たところ小屋の屋根に物すごい大蛇が居り小屋の後に下っていた。木こりは夢中でとぎすました斧で大蛇を切りつけて倒した。この木こりは、気味が悪くなりその晩のうちに里へ下りその話を村人に伝えた。翌日村人がその大蛇を見に行ったところが、おびただしい烏の大群が小屋の附近に集っていて大蛇は骨だけになっていた。古武井の木こりはこのことがあってから一週間目に病死した。
これ以来丸山の龍神の供物のうけ方が変ったので、村人は丸山の雌雄二匹の大蛇のどちらか一匹が木こりに殺されたのであろうとうわさした。大蛇については次のような話もある。
〓石田(斎藤澗、クズ家などと言われた)が牧場を経営していた頃、毛無山の裾にも牧場があった。〓家の養子になった渡辺藤吉が二股の方で犬がほえていたので沢へ下って行ったら、死んだ大蛇に鳥がおびただしくたかっていた。又弁才澗で薬売りをしていた中山という人が薬売りをやめて網大工をやっていた頃、丸山附近に山菜取りに行って、沢の方を見たところ楢の大木の間に大蛇がいて、大きなうろこが三枚か四枚見えたので逃げ帰ったなどという話が伝えられている。
村人は丸山の穴の中に現在は龍神様はいないだろうと語っている。
漁が少なくなったので現在は丸山に参詣する人の数は少ない。
五万分の一の地図の丸山のそばに神社の記号があるが、それは龍神堂の位置を示しているものである。
昔から戸井の漁師は魚の釣れる根にいろいろな名前をつけている。東から原木根、石倉根、武井がかり、一本松根、マサワ(又は沢中)宮がかり、古宮がかり、つねがかり、忠魂碑がかり、松根などである。この根はすべて丸山と陸上の地形、地物を見通した線と、函館山の蔭から次第に姿を現わす、ダラダラ山、笠山、江差山を見通した交点で根の位置を決定するのである。丸山は漁師にとっては貴重な目標でもある。
昭和四十三年七月八日、丸山竜神の信仰者、島口キエの依頼で、丸山竜神の境内清掃、道路つけの奉仕に弁才町と瀬田来の有志九人が丸山に参詣した。一行は奉仕作業を終って、丸山の洞窟前に酒(一升びんに入れた五合位のもの)、卵、乾魚、お菓子を供えて、お堂の前に戻り三十分位酒をくみ交して待ち、二人が洞窟の所へ行ったが青くなって駈け戻って来た。「供えたものが全部なくなっていた」という報告である。
そこで九人が揃って洞窟の所へ行って見たところ、報告通り酒のびんと皿だけを残し、供えたものが全部なくなっているのを見て驚いた。酒びんは倒れていたので、酒がこぼれたのではないかと考えびんのそばの草などを分けて調べたが、こぼれた形跡は全然なかった。昔は供物がなくなっても一部がなくなる程度で、この度のように全部がなくなったのは始めてである。
〓石坂の爺さんは丸山竜神の御神体は江差の木こりが持って来て祀ったと語っている。
七月八日、参詣したのは次の人々である。
弁財町 〓石坂広 本印佐藤光雄 〓蛯名 青木ブリキ屋
〓池田 〓池田 〓石岡
瀬田来 〓木村 〓高田
昔からの丸山竜神の供物がなくなるという言い伝えを現代子は一笑に付していたが、九人が揃って体験し、その不思議さに今更ながら驚いている。供物が全部なくなったのは事実であるので、三十分位の間に供物を持ち去ったものの正体は何かといろいろ取沙汰している。果して大蛇なのか、他の動物なのか、科学時代の不思議な出来事として村人の話の種になっている。