北海道の生い立ちや氷河時代について研究されたのは、北海道大学地質学教室の名誉教授である湊正雄先生である。北海道の日高山系に氷河時代の痕跡があることは、昭和三年に山口健児氏によって氷河地形のあることが認められたが、北海道大学の佐々保雄先生らによって北海道の西南部の地質調査が進められてきた。日本アルプスにも氷河地形があるといわれてきたが、日高では一面の氷期でなく、多くの氷期があったことが明らかとなり、その時代も明らかになった。何万年、何十万年の間に温暖な時期と寒冷な時期があった。
地球ができてから地球上に生物が誕生し、動物や植物もその時代に適応したものがのこり、進化してきたが、人類が地球上に現われるのは二百万年前と考えられるようになった。アフリカ大陸の東北部にあるオールドウェイのジンジャントロプスであるが、南アフリカのタウングスでは洪積世初期の六十万年から百万年前のオーストラロピテクスが発見されている。地質時代の洪積世から人類が登場するが、何回かの氷河時代を過ぎて、人類の祖先も進化したので顔の形や歩く姿勢もいまの人類と違ってむしろ類人猿であるゴリラに似ていた。知識のバロメーターである脳の容量もゴリラに似ていたが、何回かの氷河時代を過ぎると現生人類といって現在の人間と変りないほど進化した。氷河時代は大きなもので第一氷期から第四氷期まであり、第四氷期をウルム氷期とも呼んでいる。氷期は寒冷であるが、氷期と氷期の間である間氷期は温暖な時期で、人類も活動した。
日高の氷期は、洪積世の中頃であるポロシリ氷期とトッタベツ氷期がある。ポロシリ氷期は第三氷期のリス氷期に相当するが、トッタベツ氷期は第四氷期のウルム氷期に相当する。第四氷期のウルム氷期は四回氷期がある。ウルム氷期は北欧の標準的氷期の呼び名であり時代区分であるが、トッタベツ氷期はトッタベツ氷期Ⅰ、トッタベツ氷期0、トッタベツ亜氷期Ⅰ、トッタベツ亜氷期Ⅱa、トッタベツ亜氷期Ⅱb、トッタベツ氷期Ⅲと六回氷期があって、年代的にウルム氷期Ⅳがトッタベツ氷期Ⅱaに対比され、北欧で氷河時代が終ってからも北海道では氷期があった。氷期になると海水面が下降することはすでに述べたが、洪積世の中頃を過ぎてから七回も海水面の上昇があったことになる。このことはアジア大陸と本州との間にどのような地形の変化があったのかを知る手がかりになるが、日高の襟裳岬でマンモスの臼歯が発見された。この地層はトッタベツ氷期の堆積物であるところから支笏降下軽石の関連で三万二千年にマンモス象がアジア大陸から移動してきたことがわかった。この頃北海道とアジア大陸は地続きであったのだ。
アジア大陸、樺太、北海道、本州、朝鮮半島との間には海峡があって、それぞれが離れているが、ポロシリ氷期の時期にはベーリング海峡から北アメリカ大陸まで陸続きであった。それがトッタベツ氷期Ⅰとの間の温暖な時期がくると氷が解けて海水面が上昇して離れてしまうが、トッタベツ亜氷期0の時期とトッタベツ亜氷期Ⅰの時期に再び地続きとなって日本海が大きな湖になったことがある。いまから二万年ほど前は、アジア大陸、樺太、北海道、本州、朝鮮半島が陸橋で続いていたが、一万八千年になると温暖となって朝鮮海峡と津軽海峡ができて離れてしまう。先史時代の文化は、大陸と地続きであった頃に共通した石器文化があり、人間の往来もあったと思われるが、一万二千年頃に宗谷海峡ができ、七千年前になると間宮海峡ができて現在の地形と変らなくなった。
北海道の動物や植物は、本州と違って北アジア大陸に近い種類がある。ナキウサギや爬虫類、両棲類などは北方に起源をもつものが多く日本でも隔離分布を示している。植物では五十五パーセントが北方要素をもち、河野広道氏は大雪山の高性昆虫といって高度千四百メートル以上に分布するものは、樺太、シベリア、千島や高緯度の北米などにいる北方種であり、これは洪積世の古気候と古地理を背景にしたものが多いといわれている。
北海道の人類が渡来した時期は、二万年から二万三千年前で大陸が陸橋となって連っていた頃である。シベリア大陸にいたマンモス象が生棲し、それを追って人類がやってきたと考えられているのも、そのためである。