明治三十五年

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・春 陰海岸鰊大漁。
・三月十二日 道庁区町村の経費節約と住民の負担軽減について訓令する。(『新北海道史第九巻』)
・五月 日蓮宗椴法華説教所設置を許可され一宇を創建する。
・六月一日 北海道鉄道株式会社、函館・本郷(大野)間の第一期本工事に着工し、その後明治三十六年六月二十八日函館・森間を完成運輸を開始する。なお函館・小樽間全線が開通するのは明治三十七年十月十五日である。
・七月一日 漁業法施行される。
 『新北海道史第四巻』(抜粋)によれば、漁業法について次のように記されている。
 
     漁業法
  (一) 漁業権に関する事項
   漁業権は、一、定置漁業権・二、区画漁業権・三、特別漁業権(前二者以外で主務大臣が免許を必要と認めたもの)・四、専用漁業権(漁業組合専用と慣行専用)の四種とし、それぞれ行政官庁の免許によって付与され、相続・譲渡・共有・貸付の目的となすことができるほか、從来の慣行による漁業者に対する漁業免許の特例などの規定がなされている。
  (三) 漁業組合に関する事項
   漁業組合は沿海漁村の漁民のためその共同の漁場における漁業権を享有し、またそれを行使するための権利義務の主体として設立が認められたこと。
 
・八月十日 北海道最初の衆議院議員の選挙が実施される。
 明治二十三年七月、日本最初の衆議院議員選挙が実施されたが、当時北海道では衆議院議員選挙法が施行されていなかったため選挙は実施されていなかった。その後何度か新聞や北海道関係議員の活躍により選挙法改正運動が行われ、民意も高まりを見せたが、政府はこれをなかなか認めようとはしなかった。
 その後明治三十三年三月に至り、ついに政府もこれを無視し続けることが出来なくなり、衆議院議員選挙法の改正が実施され、第七回衆議院議員選挙から札幌・函館・小樽の三区の住民だけが、選挙に参加できるように定められた。これ以外の地域ではこの時もまた選挙に参加し民意を反映することができなかった。
・十一月 真宗大谷派説教所設置を認可される。
・この年、春以来気温低く作物の生育状態悪化し、更に大暴風に見舞われたため、全道的に大凶作となり米作減少率八十八パーセントにも及ぶ。
・この年、東北地方大飢饉(ききん)となる。
 米・麦を食することが出来る者は非常に少なくなり、ややましな生活をしている人でようやく粟・稗等を食し、はなはだしい人は蕨の根や各種の草根・海草などを食し、ようやく命をつなぐ状態となる。このような状況の中で北海道へ出稼に行けば、なんとかなる食にありつけるとうわさされ、多数の出稼者が来道したと云われている。
・この年、椴法華村では馬鈴薯・ササゲ・粟・稗・トウモロコシ・大豆などを植付けしたがほとんど収穫出来なかった。
・この年中、村医原医院島に開業する。