昭和五年

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 この年もまた経済的に苦しい年であった。即ち、六月生糸相場大暴落、八月全国的な不景気により失業者増大このため政府は「失業救済農山漁村臨時対策資金」の融資を決定、十一月不景気のため函館海産市場不況、この年椴法華村の昆布漁不振でかつ不景気のため収入は平年作の半分となる。そのほか烏賊・鰮等の漁業も不振であったため、村民のふところは非常に心細い状態であった。
 また平時ではあったが九月二十八日恵山上空で航空演習が実施されることになり、当村では八幡神社の境内に航空監視所を設置し、当夜は燈火管制の実地訓練が行われるなど、この年あたりから「戦争」の文字が村民の頭をちらりとかすめるようになってきた。
 
    昭和五年九月十二日 函館日日新聞夕刊
  △二十八日航空演習に際し航空本部千葉署長来村各團體と協議の上監視所を神社内に設け左の諸氏を任命せり。
   所長分會員川口清五郎・同坂本市郎・消防員越崎市太郎・同川口浩・元青年團小谷作松・椴青年團三石伊之松・渡邊勇・外に豫備員七名選任
  當日は燈火管制も行はるべく消防組は特に警備當る由
 
    昭和五年九月二十九日 函館日日新聞
     椴法華監視所
   當監視所川口所長以下六名午前六時に監視所に集合二名宛部署につき監視怠りなき折柄第一監視所より十時敵機發見の報告あり直に川口所長より監視本部に報告せり
   十一時監視所前に整列一先解散午後零時集合を命令せり(廿八日報)
  午後燈火管制は特に消防總出動全村警備に任じべく松本組頭より組員へ命令を發せられた。
 
 この年の明るい出来事としては、わずかに七月十三日に行われた椴法華小学校創立五十周年記念式ぐらいのものであった。