昭和二十七年

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・三月四日 十勝沖地震午前十時三十分発生、南部水道水源(元村湧水)建設時の五分の一程度に減水し枯渇の状態となる。
 このため六月二十四日、旧湧水口より約四百五十米北方の保安林内の湧水口を利用できるように改善する。これで住民・役場・消防はほっと一と安心という気持であった。と云われている。なお竣工は昭和二十七年七月三十一日で総工費は百八十万円であった。
・三月十日 北海道放送函館放送局放送開始。
・四月四日 小学校PTA設立総会(中学校の分離による)
・四月二十八日 平和条約発効し独立国家となる。椴法華小学校四月十六日、講和発行記念として松を植える。
・五月一日 北洋漁業再開し三船団七十五隻が函館を出航する。
・五月九日 椴法華中学校新校舎完成、六教室・二百三十四・七坪、総工費四百七十九万四百七十円。独立初代校長に和高重義が任命される。
・五月二十日 椴法華中学校独立校舎新築落成式挙行。
・十月二日午前十時頃 東北東の風二十米乃至二十五米となり、恵山沖周辺で十二隻の船が被害を受ける。損害額百五十万円。
・十一月 市町村教育委員会発足。
・十一月 道南開発協議会、戸井線鉄道敷設について陳情する。
 道南開発協議会は、函館市・渡島・桧山両支庁管内の一市三十八ヵ町村により結成され、次のような主旨をもって関係諸機関に陳情されていた。
 
    北海道戸井線鉄道敷設に関する陳情書
     陳情要旨
   北海道函館市五稜郭を基点とする鉄道戸井線は戦時中既に道床が完成されておりますのでこれを活用され、同線敷設を速かに実現の上同地方の未開発資源を生かして大に産業の発達をはかり、直ちに日本再建に役立つよう北海道開発をして真に意義あらしめるため特段の御高配を賜わりたく別紙理由書を付し関係全市村民を代表して懇願いたします。
 
 この後昭和二十八年十二月には、池田勇人・益谷秀次・佐藤栄作に陳情され、更にその後も運動が続けられたが、二十八年は災害のため二十九年は予算がなく、三十年は十五号台風の影響により(国鉄災害の復旧のため)建設費計上されず、新線建設は昭和三十一年度からと決定されたが、ついに戸井線は新線建設の計画の中に残ることができなかった。
・この年、椴法華村から春季稚内・留萌地区へ百名出稼ぎに行き、逆にいか漁期には道内から二百人、青森周辺から百三十五人の入稼者が来村した。
 この年あたり、道南では「いか漁」に二キロワット以内の集漁燈を使用すること(実際にはもっと強力な物が使用されていた)二十トン以下の漁船であることという制限が設けられていた。(本州大型船、主として八戸港の漁船の入会を恐れたため)