昭和二十九年・町村合併促進の年

298 ~ 300 / 1354ページ
・一月六日 青函トンネル地質調査ボーリング吉岡村で開始。
・二月一日 「恵山岬無線方位信号所」船舶気象通報業務を開始する。
・二月二十三日 椴法華村・尻岸内村・戸井村の町村合併問題が渡島支庁より椴法華村民代表に投げかけられ、数日を経ずして村内はこの話しで持ちきりとなる。
・七月十日-八月三十一日 北洋漁業再開記念大博覧会函館で開催。
・九月八日 椴法華村臨時議会を開催、町村合併問題について協議し、特別調査委員会の設置を決定する。
・九月十四日 この日から函館バス全線ストライキに突入。(九月二十二日解決)
・九月十九日 北海道知事田中敏文、北海道における町村規模の適正化の促進をはかるという目標のもとに、椴法華村・尻岸内村・戸井村の町村合併計画を策定する。
・九月二十六日 台風十五号道南を襲う。十五台大風に襲われた椴法華村の様子を当時の役場資料より要約する。
 
   昭和二十九年九月二十六日発生せる十五台号風による椴法華村被害の状況
   昭和二十九年九月二十六日(日曜日)未明より小雨を混じえて南山背(南東の風)が吹き始め午前十時頃には風は愈々強威を帯び雨も一段と強くたたきつけた。これにともない波浪も高く椴法華港防波堤も何らの用にも立たず怒涛は防波堤を乗り越えて狭い中にある繫船は木の葉の如く揺れ出した。かくて停電のためラジオによる情報不明のまま日没となり西方の空は無気味な鈍(ママ)黄色を呈し五時半頃にはさしもの風も一時静まりほっと安堵の胸をなでおろした。(中略)午後六時頃より風は南西の風に変り突風を混じえた異常な風態となり一同警戒を怠らなかったが、来襲せる十五号台風は遂に道南地方にその猛威をふるい七時頃には相当強烈を極め(中略)八時頃より十時頃までは台風はその最強度を示し屋根トタン柾・小石を混じえた砂は窓ガラスに叩きつけた物凄さであった。(中略)
   十一時風もやっと静まったので村長始め職員一同村内視察(主として公共建物)に出かけ判明せるは、小学校半分は全壊半壊し残部大破し全く使用不能に陥り前にある小学校長住宅は屋根は無惨にも剝ぎ取られ全壊役場住宅も全壊せり、翌早朝より職員全員これが被害調査に出動したが、全く物凄き惨擔たる状態で倒壊半壊家屋続出し、木葉微塵に粉砕せる材料は飛散した場所さえも見分けられず、一夜にして台風の被害を蒙りたるは、実に村内の八割に達し、台風の惨状を全くなめされてしまった。(中略)恵山岬灯台の測定によれば、最大風速五十米・平均三十五米を下らなかった。
  その他、道路欠壊・山林・水産関係施設・水産物・漁業資源等に大被害あり。

十五号台風による被害状況(〓法華村)

 
   昭和二十九年九月二十六日台風十五号による椴法華小学校災害状況
   九月二十六日未明より発生しました台風十五号により椴法華村立椴法華小学校は相当の被害を蒙り、別紙災害時報告書及び校舎平面図の(省略)如く一部全壊一部半壊一部大破となりまして一般校舎及屋内講堂は改築修理するまでは使用出来ませんので中学校三教室及び宗教法人光圓寺・法龍寺・大龍寺の三寺院を仮校舎として使用することになりました。
   当校児童学級数は十二学級(各学年二学級編成)ありますので、二部授業を行い十月一日より、実施しております。(以下略)

15号台風により被害を受けた椴法華小学校

 
・十月十六日 椴法華小学校、校舎復旧工事に着工する。
・十一月二十日 午後八時四十分、富浦地区で火災発生し家屋八戸を焼失する。
・十一月二十三日 小学校災害復旧工事八教室が落成する。
・十二月 椴法華村議会三村合併について協議するが、次のような理由により議会としての決論は出されなかった。
 ※合併により住民の負担が重くなる。
 ※施設面でこれから建設するものがない。
 ※住民の意見が聞かれていない。
 ※研究不足である。