椴法華村の村名を恵山村と改称しようとしたことは古くから何度かあった。最初の案は大正元年十二月北海道函館支庁が発案したもので、大正八年四月一日より椴法華村は二級町村制を施行されることになっていたが、この時椴法華村と古部を合併させて恵山村と改称させるか、あるいは椴法華村単独でも恵山村と改称して二級町村制を施行しようとしていたものである。理由は、はっきりしないがこの両案ともに道の受け入れるところとはならなかった。二度目に改称しようとしたのは昭和三・四年頃のことで、故谷口帰道(法龍寺住職)が当時の村の有力者と思われる川口勇吉・福永藤三郎に、『どんな小さな粗末な地図にも恵山岬はある。この村の発展上から考え恵山村と村名を改称すべきではないか』と語ったが、両者ともその時は余り取り合わなかったと云われている。しかし根田内村が恵山村に変更されるとのうわさが流れ、川口・福永の二人は本気になって椴法華村の村名を恵山と改称することを考え、もし駄目ならば大恵山と改名しようとした。しかしこれまた計画のみに終った。その後第三回目は、昭和十年代に村山亀次郎村会議員が椴法華村を恵山村と改称するように村議会に提案し、議会の議決を得て渡島支庁に村名変更が申請された。しかしこの時もまた理由は明確ではないが改名は認められなかった。
過去三度の改名運動はいずれも実を結ばなかったが、あきらめきれない椴法華村民は戦後の昭和三十九年四度目の改名運動に起ち上がった。
昭和三十九年第三回
椴法華村臨時議会会議録(要約)
議長 滝潔
会議の事件左の通りである。
一 村の名称を変更することについて、
二 村の名称を変更する条例制定について、
議長九月十五日、午後一時十五分議員定数半数以上の出席があったので第三回臨時議会の開会を宣告する。
一 地方自治法第百二十一条により議長から出席を求められ説明のため議場に出席した者は左の通りである。
助役 長政友一
主事 成田吉之助
議会の書記左の通りである。
書記長 成田吉之助
書記 舛森孝男
(中略)
議長 本日の議事日程を左の通り報告する。日程第一村の名称を変更することについて、
日程第二村の名称を変更する条例制定について、
議長 日程第一・第二号案を一括議題に供する旨を告ぐ、
書記 議案を朗読する、
助役 村名を変更しようとする事由について簡単に御説明申し上げます。
本村は明治九年に一村独立し椴法華村と称し現在に至っております。而し乍ら今を去る三十数年前村民の要望と当時の村会議員村山亀次郎氏の発議により村名を恵山村に変更することを村会に提案して議決し渡島支庁に協議しておりますが、村名の変更は許可しないとのことで今日に至っております。
又椴の文字は昭和二十一年に定められた当用漢字から除かれ本洲方面は勿論のこと道内においても読解に苦慮し通信文書などは段法華村と段の文字を用いるものが相当あり非常に不便を感じている現状でありますのでこの際読解の不便を解消し又住民が霊峰と仰ぐ恵山の名称を選び恵山村に改称したいと考えておりますので御審議の程よろしくお願い申し上げます。
(議員番号)
十番 許可申請すれば必らず許可になるものですか。
成田主事 村名変更は地方自治法第三条第三項の規定により知事の許可を得ることになっており必要性を認められた場合は許可されると思います。
四番 只今説明ありましたように椴という文字は読解しがたいと思いますし三十数年前にも恵山村にしようとした事実もあり、更に恵山の三分の二は当村の行政区域に属しており又住民からの要望もあることですので、この際恵山村と改称することがよいと思いますので本案異議ありません。
六番 私しも以前からそのように考えておりましたので恵山村に改称することに賛成します。
八番 賛成。
議長 只今四番議員からかような動議があり、六番・八番議員から賛成意見がありましたが異議ありませんか。
全員賛成と呼ぶ。
議長 全員異議なしと認めて本案は原案通り可決確定議とする旨を告ぐ。
議長 提案した議件全部終了したので会議を閉じる旨を宣告する。
午後二時三十五分
このような議決がなされ早速渡島支庁に提出されたが、椴法華・尻岸内間の村界問題がからみ、この時もまた結論が出されなかった。