昆布収穫税

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 享保年間の「覚」(松前福山諸掟の中の享保年間に出されたと推定される法令)から昆布収穫税関係分を要約し記すことにする。
 
     覚
  一、灘追昆布本浜役、東在喜(木)古内より汐くびまで昆布取候船役、壱艘ニ付金四匁。但小船は金弐匁。亀田支配百姓毎度其所ニ居ながら役相勤候者は船壱艘ニ付金二匁宛可申付候。汐くびより下まて昆布取候事松前え無断取申間舗候事。
  一、汐くびより下え昆布取ニ相越候者共、本昆布四駄宛人別の役右書出候。役金弐匁の代り相納候事。
  一、志のり浜の内にて昆布取候者共に志のり昆布七駄宛相納候事。
  一、亀田百姓やけないにて昆布取候者共、役金弐匁の代りやけない昆布拾弐駄相納候事。
 
 この「覚」は『松前福山諸掟』の中の亀田箱館奉行「覚」の中に含まれているもので、享保年間(一七一六-三六)初期のものと推定される。この時代農業に対する税は、
 
  一、穀物役東西在々畑方見分の上にて七斗の穀役可申付候。亀田支配の百姓其前々より穀役致し来候通相納可申候。惣て在々何方にても畑蒔候大目の百姓は穀役相納、給食の百姓は其地頭え可勤事。
 
の法令しかなくここには記さなかったが、大部分が漁業関係の税に関する法令であり、なかでも昆布に対する税が多かった。このことは松前藩が昆布関係の税を重要財源の一つとしていたことを物語るものであろう。