大正元年八月の「函館新聞」によれば、「近海昆布の産況、椴法華村、長切昆布に製し本年の採取高五百石の見込にて昨年に比し減収発育又充分ならず」と記されており、大正元年より、大正三年ごろまでは、大部分が長切昆布として製品化されていたことが推定される。
次に第一表と第二表を比較してみると、統計の項目に少し異なる所があることに気づく。すなわち、第一表では長切昆布の生産量、価格が一番大きな数字となっていたが、第二表では、元揃昆布がその数量、価格ともに一番多くなっており、明治以来よく生産されていた長切昆布の欄は無くなっている。大正七・八年ごろ、昆布を必要とする側に、変化があったためと考えられる。
また第二表と第三表の統計を比較してみると、ここでもまた、項目がちがっていることに気づく。すなわち、第二表では元揃昆布となっていたものが、第三表では単に昆布と記入され、第二表では海苔(のり)があったが、第三表ではこれがなく、和布(わかめ)が統計にくみ入れられている。
第一表(大正七年、椴法華村郷士誌より作成)
第二表
第三表