すなわち索餌移動のため日本海より対馬暖流域に沿って北上、五月上旬津軽海峡西部に出現し、その一部が津軽海峡を進み、恵山海域に到り、もう一方の太平洋の暖流域に沿って北上し恵山海域に出た漁群と合流するが、この時が第一回目の恵山沖通過期である。
合流した群は、更に沿岸ぞいに北上、日高襟裳岬付近より、遠くは中部千島近海に至り、親潮の強い張出をうけ、産卵場所へ向け反転南下をはじめ、成熟過程の魚体となり秋から冬にかけて恵山沖を南下する。これが二度目の恵山沖通過である。
恵山沖で漁獲する、スルメ烏賊は、単一年級(寿命が一年)の魚であり、資源量は、産卵場の発生量や発生過程における環境条件等の要因によって変動するものと考えられており、昭和四十年代前半では、まずまずの漁獲高があげられたため、資源は急速に減少することは無いものと考えられていた。
このような状況下の渡島地方では、他の漁業と比較して収益性が高いと考えられたため、スルメ烏賊の漁獲に力が入れられ、また昭和三十八年頃より導入されはじめた、自動烏賊釣り機械の使用による省力化、更に流刺網、採そう漁業からの烏賊漁業への転換などがあり、渡島地方の漁家経営は、烏賊漁業に依存する者が多くなってきていた。
しかし漁船の大型化や漁探、魚具等の性能の向上、全国的規模による烏賊の乱獲化傾向などがあり資源は急速に減少しつつあった。
このような状況の中で椴法華漁民はよく烏賊漁業に努力したが、漁業設備の充実した本州大型船に対して、十トン未満の小型船が多く近海にしか出漁できない椴法華漁船の水揚減少はやむをえない現象であり、これに対する早急な対策が求められたが、なかなか、これといった「きめ手」がなかったのが実状であった。
スルメいか (単位 トン・千円)