昭和四十五年コケムシの発生

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 昭和四十五年茅部海岸、下海岸地域でコケムシの異状発生現象が起きたため椴法華村ではやむなく、昆布養殖事業垂直式二百基の投入を中止し、昭和四十六年度に持越すことにした。
 昭和四十五年茅部海岸、下海岸地域の主として養殖昆布が異様な付着物におおわれ養殖昆布の生産関係者は非常な心配と恐怖におそわれた。椴法華村では、昭和四十二、三、四年と三年間の昆布養殖の試験事業と別に昭和四十四年の百基の延縄式養殖に着手し、いよいよ昭和四十五年度より本格的養殖施設として垂直式二百基を投入しようとしている矢先の出来事であったため漁民や漁協に与えたショックは非常に大きいものであった。
 「コケムシ」と言うのは、正式には、「ヒハラコケムシ」と言う生物で、昭和四十五年当時はその生活史がわからず、防除方法も知られていなく、たいへんやっかいな生物であった。
 この年の「コケムシ」の被害は、昆布の中では特に「がごめ昆布」が大きく減産となったが昆布の価格が高騰したため実収入では、平年並みの状態に近かった。しかしこの年は集団セキリの発生のため鮮いかの生産が減少したため漁家の生活は苦しいものであった。「コケムシ」については、道庁、水産試験場、北大水産学部などは実態を調査し種々研究を進めたがなかなか進まず、試行錯誤しながらその対策が考えられていた。幸いにも椴法華村では昭和四十八年にも「コケムシ」が発生したが被害はごく少なく、昭和四十六年以後、昆布養殖はほぼ順調に進められていた。