終戦後、昭和二十一年の春頃まで、戦前からの椴法華商業組合が存在していたが、いつのまにか自然消滅してしまい、これに変わって椴法華村の主として小売業者を中心にして昭和二十二年の末頃椴法華商業組合親睦会が発足したと云われている。
このように自主的に椴法華商業組合親睦会は結成されたが、結成頭初は、経済統制、主要物資の公定価格制、そして売ろうにも物不足のため売る物が無く、しかも大インフレーションの中で商売していくことは実に大変なことであったと云われている。この頃、古着、古帽子、古靴、古カバン、旧軍隊用品が品物として幅をきかせ、特に、薬品、食糧、その他重要物資を仕入れるためには、昆布、するめ、干鱈等の海産物を交換物資として持参しなければならなく、しかも村民の特に必要とする物品を移入しようとすれば、経済警察によりヤミ行為であると取り締られるなど、商店主にとっては、苦労の連続であったと云われている。
その後、昭和二十四年頃からようやく世の中が落ち着きはじめ、品物によっては、組合員が協力し合い、函館方面の問屋より協同で購入したり、あるいは協同で貨物自動車や船便をチャーターして輸送する場面も見られるようになった、更に昭和三十年頃より日本経済の復興にともなって、消費物資も豊富になり村内の商業活動も盛んになり、商店数や取り扱い商品の数も増加するようになった。