交通の退化

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 文政四年(一八二一)十二月七日、幕府は蝦夷島を松前藩に返還し、翌五年(一八二二)五月、松前章広は陸奥梁川から福山に帰還、これより三十二年間、再度蝦夷地は松前藩により統治されることになった。
 幕府は復領に際し、松前藩に対して幕府直轄の時と同じように、兵備を尽くし各種の制度及び施設を維持するように厳命していた。しかし小藩である松前藩は、財政的にも人材的にもこれを実行することは不可能であり、せっかく幕府によって開削補修された道路旅宿設備、その他駅逓制度等も荒廃し、移出海産物の減産、幕府の蝦夷地経営引上げによる諸藩士等の旅行者の減少、その他の原因によって陸上交通・海上交通ともに、前幕領時代に比較して大幅な退化を余儀なくされている。
 また、これに加えて後松前藩時代には、飢饉・噴火・地震・洪水等の災害が頻発し、その他に外国船の出現などもあり、松前藩は政治、産業、交通などあらゆる方面で、充分な施策を行うことができなかった。