明治八年三月椴法華・尻岸内村民の寄附金及び椴法華六十五名・古武井六十五名、計百三十名の人夫奉仕によって、椴法華・尻岸内間(現在の椴法華村字元村から恵山町古武井間)の山道三里二十三丁三十間が開削された(全線新道開削ではなく部分的には旧道を修理して使用)。
『駅路沿革志』(北海道大学蔵)によれば、「明治八年三月中本駅ヨリ尻岸内村ヘ至ル線路山道三里二拾三丁三十間民費ヲ以テ新築セシコトアリ」と記している。
また『(明治)八年民事課往復』(北海道蔵)によれば、椴法華・尻岸内間の道路の状況を次のように記している。
二百九十四号
民事課 戸井出張所
先般尻岸内村枝古武井ヨリ椴法華ヘ之新道修繕落成ニ相成候処、客月廿四日付番外を以上申候所右古武井ヨリ根田内ヘ懸リ恵山越本道ヘ八里程杭も取建ニ相成居新道之義本道ヘ比較乃至壱里余も道法近く相見候へとも右里程之義ハ其掛ニ於テ實地に臨ミ測量之上確定相成候様致度候間此段可然御取計有之度候也。