また、このころより農漁村では、過疎問題が深刻化しはじめ、地域の振興対策の一つとして、交通網の整備が重要視されるようになり、市町村道の整備促進がなされるようになっていった。このように記すと、町村道の整備は黙っていても道が補助金を出したかのように思われるが、実際には村行政担当者や議員の道や国に対する積極的な働きかけがあったからだといわれている。
我が椴法華村においても、昭和四十年代から道の援助を受けながら、道道函館・椴法華・森港線の整備を始め、村道の改良舗装・橋梁の架け換え、その他道路交通の発達に伴い照明施設の設置・歩道及び横断歩道の新設・信号機の設置等がなされるようになった。
次に昭和四十二年以後の主な道路関係の事項について記すことにする。
・昭和四十二年度より三ヵ年継続で村道灯台線局部改良工事(道費補助)を実施、延長千六百メートル・幅員拡幅・路盤改良・土止擁壁などを施行。
・昭和四十三年六月十二日、道道函館・椴法華・森線の国道昇格について陳情する。(延長百二十五・五キロ)
・昭和四十三年八月二十一日、豪雨と高波により椴法華港線の路面百二十メートルが陥没し、更に山地約八十メートルが道路に崩潰して二日間にわたり、元村・恵山岬部落が孤立状態となる。
・昭和四十四年十月二日、道道函館・椴法華・森港線の国道昇格と改良舗装工事の早期実施を陳情する。
・昭和四十四年十一月五日、(十一月二十日まで)道道椴法華港線の一部簡易舗装を実施する。恵山ハイヤー営業所前から大津商店かどまで二百七十メートル・アスファルト舖装。
・昭和四十五年一月三十一日、低気圧のため中浜・富浦地区の道路欠壊する。
・昭和四十五年四月一日、道道函館・椴法華・森線、国道に昇格、二百七十八号線となる。
・昭和四十五年十月十二日、村道水無線改良工事完成(延長三百五メートル・幅員四・五メートル)
・昭和四十五年、国道二百七十八号線銚子岬隧道道開削早期着工方について、国会議員・開発局等に陳情する。
・昭和四十六年十月十五日、村道保育所線改良工事完成、延長百四十七メートル・幅員四・五メートル。
・昭和四十六年十月二十一日、町村道尻岸内町字御崎に至る恵山御崎線四キロと椴法華灯台水無線約二キロの道道昇格と未開削区間工事の施工を陳情する。
・昭和四十六年十一月四日、村道水無線改良工事完成、延長百五十メートル・幅員四メートル。
・昭和四十六年十一月四日、村道浜町線改良舗装工事完成、延長三百三十メートル・幅員五・五メートル。
・昭和四十六年十二月十三日、村道灯台線改良工事完成、延長百六十メートル・幅員四・五メートル。
・昭和四十六年国道二百七十八号線、改良舗装工事実施。
・昭和四十七年八月二十五日、国道二百七十八号線銚子トンネル着工。
・昭和四十七年九月二十八日、林道絵紙山線新設事業完成、延長七百五十六メートル・幅員三・六メートル(総延長二千二百九十六メートル、総工費一千八百八十六万八千円・国道二百七十八号線と直結)
・昭和四十七年十一月二十八日、村道浜町線改良舗装事業完成、延長五百四十メートル・幅員四メートル。
・昭和四十七年十一月、道道椴法華港線、延長千二十九メートル・幅員五・五メートル改良舗装工事完成。
・昭和四十七年十二月二日、村道水無線及び灯台線復旧工事完成、延長三百五十四メートル、幅員四メートル(八月三日の集中豪雨による被害)
・昭和四十八年十一月二十八日、「矢尻大橋」架橋工事完成、昭和四十八年八月十日着工、延長三十一・九メートル、車道幅員六メートル・歩道幅員両側一メートル・工事費二千九百万円。
・昭和四十八年十一月三十日、村道相泊線改良工事完成、延長六百四十メートル、幅員四メートル。
・昭和四十八年十二月五日、村道中学校線改良工事完成、延長百六十七メートル、幅員四メートル。
・昭和四十九年八月、村道T字路に交通信号機設置。
・昭和四十九年十二月十一日、国道二百七十八号線銚子トンネル開通。
・昭和四十九年十二月二十一日、村道灯台線新設舗装する。延長三百八十メートル・幅員五・五メートル。
・昭和四十九年灯台線特殊工事完成、延長二百八十メートル・幅員五・五メートル。
・昭和五十年十二月三十日、村道灯台線改良舗装、延長七百二十九メートル・幅員五・五メートル。
昭和五十三年二月二十七日除雪事業実態
昭和五十三年五月椴法華橋梁現況
[表]