この当時、小船によって海峡を横断したことの記録が次のように記されている。
・文化十年(一八一三)箱館の漁師、丸木船で大畑釣屋浜に漂着する『下北地方史年表』
・文化十二年(一八一五)下風呂の庄三郎なるもの、箱館に出かせぎ中、妓楼の女と馴染となり、その女と丸木船下風呂に渡る。「下北の海運と文化」
・文化十三年(一八一六)の『蝦夷國私記』によれば、南部領大畑より江山を目標に渡海してきた南部の杣人のことが記されている。使用された船は、はっきりしないが小舟であろう。同書の地図中江山(恵山)所に次のような記入が見られる。
江山、年中焼ル、檜葉材木杣人など南大畑ゟ此所江渡リ是ヨリ山道シ山小屋ヘ行也、大畑ヨリ此處迠三十里。