明治末から大正時代にかけての浜は、活気に満ち貨物の移出入もますます増加しつつあったが、この機運を感じた川口勇吉を中心とする村内の有志は、椴法華回漕店の設立を計画、従来の〓白府回漕店を吸収し、これを設立した。この回漕店は艀船業と呼ばれていた従前の運送業とは異なり、艀船業が単なる荷物の取り継ぎ所的な意味のものであったのに対して、回漕店は荷物の取り継ぎ業務をするだけではなく、自社有の船や倉庫を持ち独立経営をするものであった。椴法華回漕店は株式会社で株主は大部分が村民であり、村民の中でも特に消防組の人々によって強い支持を得ていたといわれている。
次に大正八年と大正十三年の「村勢一班」椴法華回漕株式会社に関する部分を記すことにする。
大正八年椴法華村勢一班
椴法華回漕株式會社
所在地 字島泊二七
設立年月 大正元年八月
営業目的 貨物運送及艀船業
資本金 総額 六〇〇〇円
払込済額 三〇〇〇円
積立金 六七七円
大正十三年椴法華村勢一班(十二月三十一日)
椴法華回漕株式會社
人員 一三
株式数 三五〇
資本金 一七五〇〇円