下海岸地域では、明治三十年代以後流行することのなかった天然痘が流行し、大正十三年一月二十三日、本村にも三名の患者が発生し、内一名が手当の甲斐なく死亡している。
村民の語るところによれば、天然痘発生が知られるや役場は直ちになま水・なま物の飲食を禁止し、警察によって患者発生の住居付近は立入禁止の処置がとられ、函館から派遣された係官と椴法華村の医師の協力によって消毒がなされたということである。また小学校や青年団・婦人会を通して伝染病の予防方法や健康についての講話がなされたり、書きつけが回されたりしていたといわれている。
その他、明治三十七年に設置された仮隔離病舎はこの時、使用に耐えない状態となっていたため、急遽、相泊八十五番地に十五坪の隔離病舎が設置されることになり、直ちに着工され三月三十一日に完成されている。(なお村内の天然痘は隔離病舎が完成する以前の一月中に終息していた。)
函館下海岸の天然痘患者数(「北海道痘瘡流行記」より作成)
椴法華村で発生した伝染病
年 | 病 院 | 医 師 | 隔離病舎 |
大正 八年 | 私立病院 一 | 医師数 二 | |
九年 | 私立病院 一 | 葛 西 教之助 | |
横 関 正 潔 | |||
十 年 | 椴法華病院 | ||
十一年 | 〃 | 病舎なし | |
十二年 | 椴法華病院(五月二日焼失) | 病舎なし | |
十三年 | 共立病院 | 病舎新築十五坪 | |
十四年 | 共立病院 | 病舎十五坪 | |