天然痘と隔離病舎

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 大正十二年九月三十日、函館に入港した日魯漁業所有汽船第二富美丸六百八十七屯、船客四百十九名、船員二十四名よりコレラが発生し、たちまちのうちに全道に伝染する。
 下海岸地域では、明治三十年代以後流行することのなかった天然痘が流行し、大正十三年一月二十三日、本村にも三名の患者が発生し、内一名が手当の甲斐なく死亡している。
 村民の語るところによれば、天然痘発生が知られるや役場は直ちになま水・なま物の飲食を禁止し、警察によって患者発生の住居付近は立入禁止の処置がとられ、函館から派遣された係官と椴法華村の医師の協力によって消毒がなされたということである。また小学校や青年団・婦人会を通して伝染病の予防方法や健康についての講話がなされたり、書きつけが回されたりしていたといわれている。
 その他、明治三十七年に設置された仮隔離病舎はこの時、使用に耐えない状態となっていたため、急遽、相八十五番地に十五坪の隔離病舎が設置されることになり、直ちに着工され三月三十一日に完成されている。(なお村内の天然痘は隔離病舎が完成する以前の一月中に終息していた。)

函館下海岸の天然痘患者数(「北海道痘瘡流行記」より作成)


椴法華村で発生した伝染病

 
椴法華の医療機関(現在判明せる部分のみ)
病     院医   師隔離病舎
大正 八年私立病院   一医師数 二
  九年私立病院   一葛 西 教之助
横 関 正 潔
 十 年椴法華病院
 十一年病舎なし
 十二年椴法華病院(五月二日焼失)病舎なし
 十三年共立病院病舎新築十五坪
 十四年共立病院病舎十五坪