尻岸内分署の開設と椴法華村

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 このようにして椴法華村は亀田分署の管轄下に属することになったのであるが、それもわずか二年余りのことで警察制度の改正充実に伴ない、明治十八年十月には函館警察署尻岸内分署(配属警察官三名)が開設されることになり、椴法華村はこの尻岸内分署の管轄下に置かれることになった。当時の『函館新聞』から尻岸内分署の開署式について次に記すことにする。
 
   明治十八年十月六日 函館新聞
   函館警察署尻岸内分署開署祝詞
   函館警察署尻岸内分署ハ亀田郡尻岸内村ニアリテ実ニ亀田郡東南海瀬ニアリ、函館警察署ヲ距ル九里二十余町其管スル處、本村及椴法華・戸井・小安ノ四村ニ亘リ戸七百四十七口、四千百三十三、此地道途峻嶮且東南支道ニ属スルヲ以テ漁夫住民ノ外行来往跡稀ニ其ノ分署ヲ設ケ部民ヲ保安シ要予メ不慮ニ備ヘザル可ラサル也。
   此署村民総代松本勝太郎及某々等ノ挙ニ成リ工竣ルヲ告ク、今其挙ニ出ルヲ嘉シ、玆ニ本日ヲ卜(ボク)シ開署ノ典ヲ挙グ能ク此署将来部民ノ保疵全キヲ得バ蓋シ地方撫民ノ施政ヲ益スルヤ実ニ少ナカラザル也。聊開署ニ臨ミ祝詞ニ代フ
      函館県令従五位勲四等時任為基
   明治十八年十月三日
  (なお文中に函館警察署尻岸内分署となっているが、函館警察署亀田分署に附属する尻岸内分署の意味である。)