その後再度の警察組織の変革により明治二十年五月二十日から尻岸内分署に代わって亀田警察分署戸井附属分署が開設され(詳細については不明である)、椴法華村はこの時から戸井分署の管轄下に属するようになった。
戸井分署の警察官は必要に応じて椴法華村に来村し、その仕事をすすめていたが、当時の警察官は警察業務と行政業務を兼務しているため、多忙で実質的には村々の戸長クラスの人々が警察業務を担当していたようである。『北海道庁統計書第三回』によれば、明治二十一年に警部補一名と巡査一名が配置されたことが記されているが、多分、椴法華村の戸長その他の村吏員が警察官の仕事を兼任していたものと考えられる。
その後更に明治二十一年三月八日北海道庁令第十三号により、茅部・山越郡役所と亀田・上磯郡役所が合併され、亀田外三郡役所となって七飯に置かれたが、この時郡役所と警察署は同一地域に設置するようにという道庁の方針に基づき、戸井分署は亀田分署の管轄下から七飯分署の管轄下に移されることになった。