防火への関心

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 大正十二年の大火で火災の恐しさを身にしみて知らされた椴法華村民は、以後消火設備・器具・貯水槽の充実に力をそそぎ、火防知識等の充実に力をそそいだ。すなわち消防組においては以後施設、設備の増強、充実を計画し、消防予算の増加及び消防手の増員に努めた。消防組の充実年度別状況は上の表のとおりであるが、消防予算及び消防手の増強は特に大正十三年が多かった。

椴法華消防組

 このほかにも消防手の技術の向上を図るべく講習会を開催し、さらに村民に対する啓蒙宣伝を積極的に行うようになっていった。
 これらの運動の現われとして、まず大正時代の末ごろ火防宣伝のために、小学生が通学の往復に旗を持ち歌を唄いながら歩くことが行われた。
  一、
   時は大正十二年五月二日の朝まだき
   警鐘乱打に目を覚し
   見れば火焰天をつき
   三十六戸を嘗めつくす
   十数万円灰となる
   火をば粗末にあつかうな
  二、
   地震・雷・火事・おやじ
   別(ワ)けても火事は恐ろしい
   先祖代々骨折って
   溜めた苦心の財産も
   瞬くひまに灰となる
   げに恐ろしきは火事なるぞ
 この歌の作詞者は函館の松田昇で椴法華村へ火防宣伝のため来村した時、この歌を奥方に唄わせ大いに宣伝したものであるといわれている。