愛宿丸の椴法華沖破船

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 『萬延元申年(一八六〇)從正月至六月諸書付』によれば、越後鬼舞之愛宿丸の破船について次のように記されている。
 
   乍恐以書附奉願上候
   愛宿丸    越後鬼舞之
  一 七人乗       與右衛門
   右之船クスリ御場所御産物之内御用石炭積取御雇船ニ相來閏三月廿一日御場所行奉請御改御判物頂戴仕同廿三日御當港出帆仕クスリ御場所江着船仕則御産物御會所出之縄莚外請負人仕入品不残陸揚相濟御用石炭拾六貫目入千九百俵積入御見分濟之上同所出帆船登候処當月廿四日椴法花村沖合ニおゐて洤道出来同日朝五ツ時皆無破船ニおよび候趣今日態飛脚を以て申来候間御出役御見分被仰付被下置度乍恐此段以書付奉願上候以上
           船宿亀屋
                    武兵衛

   申四月廿五日   クスリ御場所宿
             大津屋茂吉
            同屋取改
             浜田屋兵右衛門
            同
             佐藤半兵衛
   沖之口
    御番所様
  前書之通相糺候処相違無御座候間奥印仕候 以上
            問屋取締役
             蛯子 砥平印
 
   乍恐以書付御届奉申上候
   椴法花村役人代兼六ヶ場所宿市五郎奉申上候、時廿四日朝五ツ時頃東風烈敷時化ニ候処大船壱艘右風真帆ニ〓込當村前浜凡三丁程沖合江碇海致候ニ付難破船とも可有之引漁船六艘江村役並立入人数乗込為見届漕付相尋候処宿武兵衛越後国鬼舞浦与右衛門船ニ而クスリ御場所江石炭積取ニ罷下リ歸登之処沖合ニ而損所出来湌ミ水入候趣承知仕精々加勢相働候得共追々湌ミ水込相留兼候ニ付水々着智外石炭五俵積移候内次第ニ波高ニ相成候ニ付船頭水主之者共者親船之綱切捨漁船江乗移上陸致候内元船之儀者当村地内矢尻濱ニ寄上リ候趣同村役人より申越候間乍恐此段以書付御届奉申上候以上
            椴法花村
             小頭 三次郎
            代兼
  申         六ヶ場所宿
   四月       市五郎印
  沖之口
   御番所様